生き方・人生論

カイジの鉄骨渡りで感じた、人生の孤独さと通信することの強さ

こんにちは!肥後庵の黒坂です。
あなたはカイジという漫画を見たことがありますか?まだ見たことがなければ漫画・アニメのどちらでも構わないので、見てみることをオススメします。今回はすでにカイジを知っているという前提で、カイジたちが鉄骨渡りをしているシーンで感じたことをお話したいと思います。

 

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地球57億人の民の孤独

恐怖の鉄骨渡りのシーンは、見ているこっちが氷のように冷えた手で心臓をわしづかみされるような恐ろしさがありましたよね…?私はあのシーンを見ていて、強烈に印象に残った言葉があります。それは

”いつだって人は・・・その心は・・・この橋を行くカイジらのように孤立している心は理解されない・・・伝わらない・・・誰にも伝わらない・・・”

というものです。私たちは気の合う人と一緒にいるとあたかも彼、彼女が自分たちの人生をまるごと理解してくれ、すべてを受け入れてくれているような感覚になります。でも…その本質は違います。人は自分自身さえも理解することが非常に難しい生き物、自分の価値観、自分の適性、自分の性格など四六時中付き合っている自分自身を誤って解釈し、それが正しいと思いこんでいます。自分自身が理解できないものを、他人が完全に理解することなど不可能なのです。それでも他人に理解を求めてしまう、それが人間の弱さでもあり、苦悩の始まりです。

地球に生きる70億人が皆、共通して求めるものは

「幸せになりたい」

ということです。これだけは間違いなく、100%、絶対に皆が思っているといい切っていい。そして他人が自分を理解してくれている、というのはその幸せのものすごく大きな部分を占めています。カイジではその他者理解をバッサリと切り落とし、「人は他人を理解できない。理解を求めてはいけない」といっています。

 

共感はお互いの手を伸ばして始めて得られるもの

カイジで言われていた通り、本質的に人は他人を理解できません。でも本質的にはといっても部分的には理解できます。言葉の表現や語彙、共感力を総動員して出来る限り、精一杯の理解を得ようとするのがコミュニケーションです。

私は常々思っていることがあります。それは

「他人に理解してもらいたい!」

と思っている人より、

「孤独を受け入れて他人からの理解をすっぱり諦める。その代わりに他人を理解することに努める」

という人の方が他者から理解を得られることが多いということです。なぜかというと、まず相手を理解するとその相手に理解しやすい形でコミュニケーションができるからです。当たり前のことのようですが、この当たり前が本当に難しいのです。

「自分を理解してほしい!」

という気持ちはよく理解できます。でも気持ちの理解は、自分がどんなに願ってもそれを決めるのはあくまで相手しだいです。

「理解してもらえるためのことを精一杯やって、後はそれを理解できるかどうかは相手に委ねる!」

というのが本来のあるべき姿だと思っています。ありのままの自分を理解しろ、というのは押し付けであって

「これおいしいから食べてみろ!な!?おいしいだろ!!ねえ!おいしいって心から思ってよ!」

なんていっても、おいしいと思うかどうかは相手次第ですから強要してはいけません。それよりも相手がどんな食べ物が好きなのかを考え、できるだけ好みに合うものを差し出して

「はいどうぞ。これあなたの口に合うといいけれど」

という方がおいしいといってもらえる可能性は高い。これが共感のあり方だと思うわけです。両者が手と手を伸ばしあった時、わずかではあるものの、部分的な理解が実現すると考えます。

 

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完全理解はなくとも、通信することで人は救われる

人と人とは完全理解は無理でも、部分的な、瞬間的な理解は可能です。それを共感と呼んでいます。カイジの鉄骨渡りでは、一本の鉄骨を歩く相手を支え助け合うことは出来ません。全ては自分の両足だけが頼り。できることといえば、励ます声をかけあうことくらいです。作中ではこの鉄骨渡りを人生そのものだといっているわけですが、本当にそのとおりだと思います。私が今、うなづいたのは理解し合えないという部分にではなく人は励ましあったり、声をかける通信で支えられているという部分です。

人生の他者の相互扶助は、この通信をすることでどれほど心強く、支えられることか。私は高校を卒業して数年間コールセンター派遣をしていました。でも大学受験することを決意してから、毎日働きながら猛勉強をしていました。勉強は孤独です。部屋で問題を解いて間違えることが多いと、心を冷えた手で掴まれるような感覚です。

「こんな事をして受からなかったらどうしよう…!?」
「また同じ問題を間違えた。自分はもしかしてトンデモなく頭が悪いのではないか?大学受験なんて自分には身分不相応だったのか…」

など不安と孤独で押しつぶされそうになります。そんな時、私はエジソンの伝記を読んでいました。彼が何回実験に失敗しようとも挫けず、明るく前向きに挑戦を続ける姿に心を打たれ、

「まだまだ!ようしもう一度頑張ろう」

と自分を鼓舞して勉強を続けました。しかし、試験が近づいてくるとさすがに不安に襲われます。その時はエジソンの言葉も姿もなかなか入りません。そんな私を見て友人がこういいました。

「大丈夫、信じてる。お前は絶対に受かると信じてる」

と、彼は高卒で大学受験の経験がありませんし、自分が勉強している内容は分かりません。完全理解とはほぼ遠い彼の言葉を聞いた私は、

「理解してないくせに適当なことをいうな!」

と怒り出すのではなく、

(ありがとう…!いつも信じてくれてありがとう!!)

という声にならない嬉し涙混じりの感謝の気持ちです。その時に理解なんて必要はないと思いました。自分を想ってくれる人がそばにいる、もうそれだけで孤独に生きる人生をかける一本の鉄骨を歩き続ける自分には十分すぎるほどの助けになる、と。

その後、私は無事に大学に入ることが出来ました。派遣フリーターから遅い大学生デビューです。理解がなくとも、人生を救われたという貴重な経験をしたと思っています。

黒坂 岳央

高級フルーツギフトショップ経営、雑誌・テレビのビジネスジャーナリスト、作家、講演家、投資家と幅広く活動。 元・高卒ニート&フリーターだが、米国大学留学を経て外資系勤務後に起業。 メルマガも書いてます→https://takeokurosaka.com/mailmagazine/

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