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映画・ドラマを早送りで視聴するのは「作品への冒涜」なのか?

「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来という現代ビジネスの記事が話題になっている。映画やドラマを早送りする人たちが増えたことで、言外の間の意図を堪能することを放棄し、作品への冒涜ではないだろうか?という問題提起だ。

結論からいえば、筆者は倍速視聴は作品への冒涜に当たるとは考えておらず、価値観の多様性と、技術革新がもたらした「新たな楽しみ方の1つ」と解釈している。クリエイターの立場にある方が本稿を読まれて気分を害されることがあってはならないと配慮して執筆をしたが、もしもそう感じる部分があったら詫びたい。だが、今回は違った視点の提供をする意図を持って、論拠を展開したい。

 

作品を早送りする人たちの目的

本記事では、早送りする人たちの意図について、次のように分析している。まとめると次のようなものだ。

 

・映像作品が多すぎるため、消化に時間を要する。

・流行へ乗るために時短視聴に追われる。

・インスタントに人気コンテンツのオタクになるため。

 

つまるところ、行き過ぎたコスパ意識が「飛ばし見視聴者」を生み出し、コンテンツ配信プラットホーム側にも「倍速再生」「10秒飛ばし機能」を実装させたという話で、これは視聴者のニーズが具現化した結果というわけだ。

「セリフやナレーションでは説明されない、空白部分を見過ごしてしまう」と、執筆者は飛ばし見視聴では回収しきれない「作品のメッセージ性」を危惧している。

 

倍速再生で本質的な面白さは変わるのか

筆者は日頃から映画やドラマ、アニメなどのコンテンツを視聴しているのだが、基本的に初回視聴時でもツールを導入して2倍、3倍速で視聴している。もう何年もこのスタイルなので、倍速に完全に慣れきってしまった。たまに等速再生をすると、あたかもスローモーションのように感じてしまうほどだ。

そして2倍、3倍速で視聴しても、作品の本質的な面白さは変わらないと感じている。「作中の10秒間の間というのは、クリエイター側が10秒間であることに意味をもたせている。倍速ではこの概念が破綻する」と反論もありそうだ。だが、物理的な時間は半分の「5秒間」になっても、体感時間は倍になっているのでしっかりと「間」と認識する。そのため、作中の「間」を楽しむ回路は、破綻せずに稼働を続けていると感じる。つまり、等速でも倍速でも、作品の本質的面白さの感じ方に違いはないと思っている。

ちなみに、「10秒間スキップ機能」は初見で飛ばし見をするためというより、2回目、3回目の視聴時において「お気に入りのシーンをシークするための機能」とは考えられないだろうか。

 

倍速再生派の合理的理由

また、件の通り「倍速再生、飛ばし見をするのは、時短で流行り作品にキャッチアップするコスパ意識によるもの」と分析されていた。だが、この点についても、筆者は違った解釈をした。

世の中にあまりにも映像作品が溢れかえっている。映画やドラマなどは、過去の名作やマイナー作品なども蓄積するため、どれだけ時間を持て余す人物であっても、すべての作品を視聴することは到底できない。そうなると、できるだけ自分の好みに合う作品を探し出し、心から堪能したいというインセンティブが働く。面白い作品に出会うためには、視聴前にレビューをチェックしたり、多くの人から支持されたソーシャルフィルタリングを経た作品を選ぶなど、効率性を求めるのは筆者だけではないはずだ。

さらに、エンタメが多様化し、夫婦共働きで仕事や家事で忙しく、可処分時間が極めて限定的な現代人は、時間効率性を意識して良作にアプローチせざるを得ない状況にあるだろう。一部の映画マニア、ドラマのマニアであれば、可処分時間を投下して見込みのある作品へ総当りができるかもしれない。だが、多くのそうでないライト層にとっては、これは現実的な提案ではないだろう。

また、視聴する段になっても、その作品が面白いかどうかは分からない。万が一、視聴して面白くなかった場合は、早々に時間の損切りをして「別の作品へスイッチする」という人もいても不思議ではない。このような現況では、全身全霊を込め、最初から正座で作品を視聴するというスタンスはある種の非合理性を感じる。倍速で最初の30分を視聴、面白くなければそこで終わり、面白ければそのまま視聴を続けるという人もいるはずだ。これは忙しくて可処分時間が限られた、ライト層による現代人が行き着いた「新たな視聴スタイル」という解釈ができないだろうか。

また、技術革新の問題もあるだろう。かつては映画やドラマの視聴時に、そもそも倍速再生はできなかった。VHSビデオや、映画館での視聴しかなかった昭和と令和では、この点についても状況はかなり違っている。

 

倍速再生は「作品への冒涜」ではない

飛ばし見、倍速再生は本当に作品への冒涜なのだろうか?

映像コンテンツに限らず、文章でも素人の作成したYouTubeも漫画もすべてはクリエイティビティを込めた、「クリエイターによる作品」である。それは小説であっても、ビジネス記事であっても本質はあまり変わらないと個人的には思っている。そして文章をななめ読みしたり、飛ばし読みすることは「作品への冒涜だ」とは言われない。むしろ「時短技術として、身につけるべき技術」「小説も速読せよ」と奨励する人物もいるほどだ。

また、ビジネス系YouTuberの中には、「動画は映像は見ず、ラジオ感覚で音声だけでも理解できる構成にしている」と積極提案し、支持されているケースもある。筆者は好きなドラマを複数回見る場合に、2回目以降は映像は見ず、音声だけをラジオ感覚で楽しむ場合もある。屋外でウォーキングをしながら、作品を堪能できるからだ。

こうした作品を楽しむスタイルは、個々人の楽しむツボの違いによるもので、作品を軽んじているものとは異なると解釈する。筆者が考える作品への冒涜とは、たとえば好きな作品を友人にも見てもらいたいと「海賊版をプレゼントする」などが該当すると考える。これは犯罪に抵触する行為であり、自分が好きな作品ならクリエイターへ課金されるようにするのが、リスペクトする作品への態度と感じる。具体的にいえば、DVDや書籍などの作品を自腹で買い、友人へプレゼントするなどがあげられるだろう。

今や個人の価値観、スタイルはあまりにも多様化している。「素晴らしい作品なのだから、スマホを機内モードにして大画面で集中して視聴しよう」という提案が響くのは、多様化した価値観の中でも極めてコアな層だけではないだろうか。

黒坂 岳央

高級フルーツギフトショップ経営、雑誌・テレビのビジネスジャーナリスト、作家、講演家、投資家と幅広く活動。 元・高卒ニート&フリーターだが、米国大学留学を経て外資系勤務後に起業。 メルマガも書いてます→https://takeokurosaka.com/mailmagazine/

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