オピニオン

自分がネット上の議論を受けない理由

記事や動画を上げていると、見ず知らずの相手から議論を申し込まれることがある。そのほとんどは「あなたの言っていることがいかに間違っているか」というものである。この現象は不思議なことではない。なぜなら、世の中は困っている人を見て手を差し伸べるより、間違っている人を見つけて相手の間違いを指摘する方が熱心になる人が圧倒的に多いからだ。これは「Cunningham’s law(カニンガムの法則)」と呼ばれ、なにも日本人に限ったことではなく、海外でも同じである。人間の本質的な機能に近いだろう。わざと間違ったことをいって、メディアエンゲージメントを高めるテクニックもある。

ネット上での議論に対して、真摯に受け止め丁寧に対応する人は「人格者」などと呼ばれたりして、周囲の人達もそのやり取りをエンタメとして楽しんでいることもある。議論に丁寧に応じている人はすごいし立派だと感じる。だが、自分は狭量なので議論を受けないことにしている。「お前は相手からの貴重な意見を無視するのか!ケシカラン」などと言われそうだが、それでもしない。理由はシンプル、自分にメリットが無いからだ。本稿で思うところを取り上げたい。

 

ありがたい意見と無益な議論

誤解のないように言っておくと、筆者はすべてのコメントがダメだとは思っていない。時々、本当に親切心でこちらのミスを教えてくれるコメントや、建設的意見も来る。そうしたコメントは無視しないで、相手にお礼を伝えてできるだけ改善や検討をしている。自分は建設的意見には反応するし、できるだけ感謝の気持ちは伝えるように意識している。

だが、申し込まれる多くは無益な議論である。このような議論は「間違っている相手をやり込め、謝罪を引き出して優越感にひたりたい」とか「こいつは気に入らないから、データを要求して手間をかけさせたい」といった自分本位による動機に立脚している。駆け出しの頃は、申し込まれた議論にはできるだけ丁寧に対応していた。だが、たとえこちらが相手の求めるデータを出しても「このデータでは信頼性が足りない」「データを出して勝った気になるな」といった返事や、はたまた自分の言いたいことだけに終止してまったく話が通じないケースも多かった。この経験から、無益な議論に反応することは一切やめた。

見ず知らず相手に議論を申し込む人の多くは、相手と建設的な意見を交わしてお互いにアップデートしようなどとは思っていない。相手にリスペクトを払わないのに、こちらもリスペクトを持って応じる必要もないのだ。よしんば相手の攻撃が激しく、大きな迷惑を被ったならばその時は個別に法的対応で解決すれば良い。以上の理由から、相手からの無益な議論は、無視をするのがもっとも省エネで合理的な選択肢となると考える。

 

議論に応じてもメリットはない

ネットでよくわからない相手と議論をしても、シンプルにメリットは何1つない。

申し込まれた議論に応じて、相手を論理的にやり込めたとしても数秒間スッキリするくらいでその他にメリットは何もない。後に残るのは、二度と返ってこない貴重な「時間」というビジネスマンにとって最大の資源が失われたという事実だけである。議論に使う時間は他の有意義な活動や自分のことに使いたい、このような価値観を自分が持っているので議論はしない。

さらに議論に応じると、自分にはメリットがなくても、申し込んできた相手を利することになるために話に歯止めが効かなくなる。人の生き方は自由と考えるのでディスる意図はまったくないのだが、一切の面識がない相手に無益な議論を申し込める人は、間違いなくヒマを持て余している。忙しく過ごす人は他人と議論できるヒマがないからだ。自分の時間を差し出してまでヒマな人の相手をすると、相手はヒマ潰しができるし相手からの反応を引き出せるから嬉しいと感じるだろう。だが自分は時間と労力を差し出して損をする。これではまるでボランティアである。同じボランティアなら、たった一人のヒマ人を幸せにするより、より公共性の高い活動に使うべきだと考えるので、自分はやろうとは思えない。

一方、エンタメ芸人のような職業の人は相手からの議論に応じるメリットがある。議論が盛り上がれば、自身のメディアエンゲージメントが高まり、結果として収益になるからだ。自身の知名度も高まり、経済的合理性もあるだろう。要するに立場の問題でもあるのだ。

 

ムダなプライドはいらない

一方的に議論を申し込まれ「こいつはおかしい!」「論破してやった!」と勝利宣言を見ることがあるが、彼らの心の中で勝たせておけばいいと思う。プライドが高いと、自尊心を保つために応酬したくなるかもしれないが、自分はそうしたプライドは持ち合わせていない。他人からは無能でバカな人物だと思わせておく方が、相手から誤って過剰に期待されて勝手に失望されるよりは面倒さが減る分、マシだと思っている。

 

最後に。自分では感情的に議論を申し込んでいるつもりで、行き過ぎて誹謗中傷になってしまっている人がいるが、「相手からの訴訟が怖くないのだろうか」と心配になることもある。ネット上に証拠がすべて残ってしまう上に、最近は誹謗中傷への風当たりや法的措置も厳しくなって来ている。下手をすると身を滅ぼしてしまうというのに。

黒坂 岳央

高級フルーツギフトショップ経営、雑誌・テレビのビジネスジャーナリスト、作家、講演家、投資家と幅広く活動。 元・高卒ニート&フリーターだが、米国大学留学を経て外資系勤務後に起業。 メルマガも書いてます→https://takeokurosaka.com/mailmagazine/

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