メディア論

ブログを書く上で避けて通れない批判コメントはどう対応する?

こんにちは!肥後庵の黒坂です。
ブログで記事を書くようになり、1年半が経過しました。アクセスも伸びてきて、コメントやメッセージを頂くようになったのは大変ありがたいのですが…。どうしても出てくるのが「批判」。最近はYahooニュースに掲載されるようになり、多くの人の目に触れるようになったことで以前より批判の声を目にする機会が増えてきました。

書いている記事の方向性が良くないものについては、「まあこれは叩かれても仕方がないか」と猛省することはあります。ですが、中にはとんでもない方向から批判の声も目につくようになってきました。これを読んでいるあなたも、ネットで誹謗中傷を受けたことがある人もいるかもしれませんね。

 

批判コメントは無視か?無視しないか?

批判を受けた時の対策については、ざっくり2つに分けられます。すなわち、無視するか?他の人も見ているからきちんと対応するか?ということです。無視する、きちんと対応するを指南するブログもあり、見てみるとなるほど理にかなっています。

無視する派、こちらは相手にしても時間のムダだという意見です。他人は発言に責任を持ちません。特に匿名でコメントができるサイト上では荒れる傾向が高く、

「バカじゃないか?」
「こんな記事を生産してブロガーとか笑える」

といった書き込みをされても、真摯に対応しようがないコメントも多く、いちいち返信していられないということでしょう。確かにどうしようもないコメントはあります。私の書いた記事に寄せられるコメントにも返信が難しいものもあります。結構多いのが「タイトルと見出しだけで、本文読まずに送ってきてくるでしょ!」とツッコみたくなるものとか、「自分が理解できないことはとりあえず否定したいのだな」と思わされるものなどです。本文を一切読まずにタイトルだけでケチを付けてくる人に「大変恐れ入りますが、本文は読まれての発言なのでしょうか?なぜそのように考えたかというと(うんぬんかんぬん…)」と送っても絶対に読まれませんし、返信することには相手は興味を失っている可能性すらあります。そうなるとその対応に時間を費やすことに何も生み出しませんし、相手もそれを望んでいません。ですので批判に対しては相手にするだけ時間のムダ!という指南にはもっともだと思えるわけです。

それから無視しない派の意見としては「他の人も見ているから」ということから来ています。批判コメントが書き込まれ、それを放置すると

「痛いところをつかれて反論できないのかな?」
「都合が悪いと回答をしない管理人」
「確かにコメントされている点には落ち度がある」

と読者に思われてしまう可能性があります。また、批判コメントは的を射ていることも多く、参考にすることでより自分やブログの成長発展につなげましょう!という意見です。この意見についても間違いではありません。私も送られてくるコメントやメッセージを見て勉強になるなと感じることは確かにあります。

 

「批判は無視、意見は真摯に対応」でいきます

私のスタンスとしては両者のいいとこ取りをしたいと思っています。それは「批判は完全に無視します。ですが、意見は真摯に対応します」というものです。

「批判も自分の糧としましょう!」という意見を出している人もいますが、批判コメントは糧になるような要素がぶっちゃけほとんどないと感じます。人間性否定とか、揚げ足取りとか、憂さ晴らしをしたくて書いている場合があります。そんなものを見ても気が萎えるだけで1ミリも成長につながりません。もとい、気持ちが後ろ向きになる分デメリットしかないと考えます。ですのでどうしようもないコメントやメッセージだと感じたら即削除しています。

反面、建設的なご意見を頂くこともあります。しっかりと記事を読んで「あの記事はこう書いたらもっと良くなったのではないですか?」と他の書き方を提案してくれるようなメッセージです。「ここがダメ、あれもダメ。ついでも書いているお前もダメ」としか書いていないコメントに比べて、こちらは確実に有益な情報です。私も過去にご意見を頂いた事に深く感謝し、そこから書き方などをアップデートして改善が出来たことは何度もあります。指摘をされるのは人間性の否定とは思いませんので、そうしたご意見は本当にありがたく受け止めております。言われなければ気づけない事を人から言われて改善していくことで、成長が望めます。時間を割いて成長させてもらえるメッセージを頂けるなんて本当にありがたいことです。対面で付き合いがあるならお礼に食事をごちそうしてあげたいくらい(笑)。

 

批判か?意見か?

しかし、批判を送る人の中には「相手を攻撃したい、嫌な気持ちにさせたい、間違いを分からせたい」と自覚している場合と、「わざわざ人が君のためを思ってメッセージを書いてあげているのに!」と自分が批判を送っていることに気づかずに送っている場合があります。

これは日常生活でもよく見られる光景です。「君のためを思っていうのだが…」と前置きをしてぐだぐだといかに相手が間違っていて、自分の意見が正しいか?ということをお説教する人たちです。これは相手のためにという大義名分で、自分の意見を相手に認めてもらいたいからやっているだけでその実態は批判でしかありません。

批判か?意見か?を見極めるラインは「自分のためか?相手のためか?」で考えればいいと思っています。ぐだぐだとお説教をする人たちは「相手のために」と言いながらも、その目的は自分の意見を認めさせるための承認欲求を満たすため、周囲に力を誇示するためと自分のことしか見ていません。相手はその目的を達成する道具に使われているわけです。しかし、先ほど述べた私に建設的な意見をくれた方は私のことを見ています。「こう書いたらもっとよくなる」というのは、それを書いたからといって自分が得するわけではないのに、労力と時間をかけて相手のために書いているものです。これは自分本位、相手本位という言葉で表現できますね。批判は自分本位、意見は相手本位のものです。自分本位で送られる批判コメントに消耗するつもりはありませんので、今後もスルーして相手本位で意見をくださる方を真摯に対応することに時間とエネルギーを使いたいと思います。

黒坂 岳央

高級フルーツギフトショップ経営、雑誌・テレビのビジネスジャーナリスト、作家、講演家、投資家と幅広く活動。 元・高卒ニート&フリーターだが、米国大学留学を経て外資系勤務後に起業。 メルマガも書いてます→https://takeokurosaka.com/mailmagazine/

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