「人を裏切る、嘘をつく、人に流される」その時、自分自身を裏切っているのだ

こんにちは!肥後庵の黒坂です。
今回はちょっと重いテーマのお話をします。あなたは人を裏切る、人に裏切られるのとどちらを選ぶでしょうか?…いや、聞くまでもなくその答えはもう分かっています。それは「両方いや」そうですね?
「当たり前じゃねえか。裏切られるのも裏切るのも絶対にいやだ!」
まあそうでしょう。でも長い人生を生きていれば、その選択に迫られる瞬間というのはあるものです。
「まあそういうなら、もちろん自分が損をするより相手が損をする方がマシだ」
そんな答えになるでしょうか?私はこの質問に対しての答えを持っています。それは「裏切るより、絶対に裏切られる方がマシだ」というものです。もちろん、言うまでもなく私も裏切る、裏切られるということとは無縁でいたいです。しかし、どちらか?と問われるなら絶対に裏切られる方がマシだといい切れます。
人を裏切った経験は永遠の十字架を背負う
私は子供の頃、人を裏切った経験があります。すいません、ここではあまりハッキリはいえません。屈託のない笑顔を浮かべた友人に対して、私利私欲のために裏切ったという経験があります。未だにそのことで夢を見て、目が覚めてしまうことがあります。
私は後にも先にも人を裏切った経験はこの一度きりです。ですが、このたった一度きりの法律上はもう時効を迎えている裏切りの背徳感が、未だに夢の中で私を悩ませます。私は確信を持って彼を裏切りましたが、それと全く同時に自分自身の心も裏切ったということを骨身にしみて感じました。謝ることができるなら、今からでもお詫びをしたいと思うのですが、彼とはもう連絡を取ることが出来ません。おそらく今後もずっと悩み、裏切った行為に心を痛めることでしょう。人を裏切った経験は、永遠の十字架を背負うということです。その裏切りによって得られるいかなるものも、その代償に見合うものではないでしょう。
もう二度と同じ気持ちを味わいたくはないので、私はもう二度と人を裏切ることはありません。
小さな嘘も自分を裏切ること
過去の私のように意識的に大きな裏切りをした、というものでなくても人は嘘をつくことがあります。たとえば待ち合わせに遅れた時に「ごめん、自分の落ち度で遅れた。申し訳なかった」と正直に言う代わりに「悪いと思うけど、電車が遅れてどうしようもなかった」と小さな嘘をつく具合です。「このくらい別にいいでしょ」と嘘をついた自分の心についた傷が見えないようにフタをする。そんなことを繰り返していると、自覚しないまま自分への裏切りの傷が大きくなっていきます。
「彼に罵声を浴びせたけど、実は自分の勘違いだった。でもいいや、彼は気づいていないだろうし」
「本当は自分が悪いけれども、過ちを認めるのはかっこ悪いからこういってごまかそう」
そんな小さな嘘をつき続けていると、ある時人は離れていってしまいます。自分自身の経験ではありませんが、周囲にバレていないと思って小さな嘘をつき続けたことで周囲の人が離れて一人ぼっちになった人のことを知っています。彼は皆が離れ、失ってしまってからようやく気づいたのです。自分を守るための嘘をつくことは、相手の信頼を裏切ることであり、周囲が離れていってしまったのは自分自身を裏切り続けた結果なのだと。
小さな嘘は周囲の信用の裏切りであると同時に、自分自身への裏切りでもあるのです。
「自分を押し殺して周囲に流される」という裏切り
騙してやろうと思って相手を騙す。自分を守るために嘘をつく。実はこうしたものの他に、もう一つ自分自身を裏切る行為があります。おそらくそれはあなた自身が気づいていないことです。それは「主体性を捨てて、周囲に流される」という生き方を選んだ瞬間です。
自分の人生は紛れもなく、自分自身のものです。何に幸せを感じるのか?何が好きなのか?どう生きたいか?そうした人生の指針となる軸は自分自身の中にしかありません。それなのに、
「本当は大好きな音楽の仕事をしたいけど、周囲がやめておけというから固い公務員を目指す」
「これをすることが夢だけど、心配をする人がいるからやめておく」
これは「自分はこんなことがやりたい!」という気持ちを裏切っています。その裏切りの大きさと、失う代償は前者の2つとは比べ物になりません。「自分の人生を生きるか?他人の敷いたレールを歩くか?」という生き方は人生の充実度にあまりにも大きな違いとなって現れてしまいます。まず、「自分なこんな人生を生きたい!こんな事を仕事にしたい!」といった「これがやりたい」というものを、一生かけても見つけることができな人もいるのに、せっかくそれを見つけても自分を押し殺して周囲に流されてしまう、というのは自分の命に対しての冒涜とすら思います。
自分の心だけは絶対に裏切らないことです。そのために、「人を裏切らない」「嘘をつかない」そして「自分の人生を生きる」ということを心がけることで、背徳感や後悔のない人生を生きるヒントになるのではないでしょうか。