こんにちは!肥後庵の黒坂です。
さて、英語学習の話です。経済学者の野口悠紀雄さんはTwitterで大変示唆に富んだ発言をされています。それは「英語の勉強は独学でしか出来ない」という世の中の常識の真逆を行く主張です。
この主張、私はあまりにも強く共感をしました。自分も英語力0から独学で英語を身に着けてアメリカの大学で会計学を学び、外資系企業で外国人社員と働いてきました。今の自分を支える英語力の源泉は90%以上がひたすら英文を読解するという学習法(過去記事)から成っています。つまり、独学で身につけた英語力です。
野口悠紀雄さんの主張と同じく、私もこう言わせてもらいたいと思います。「大学での教育やビジネスの現場で必要とされるような真の英語力は、独学でしか絶対に身につけることは出来ない」と。
目次
独学ほど濃密で効率の良い学習方法は存在しない
日本人は学校教育こそが最高の教育スタイルである、という誤解をしている人が多いという印象があります。
「何か物事を学ぶなら、とりあえず学校へ行こう」
そのように考える人が本当に多いです。確かに学校で学ぶ事はムダとは思いませんし、学校で学ぶ意義のある分野もあると思います。例えばプレゼンテーションやディスカッションなどです。これらは相手がいなければ始まりませんから、場数を踏み、講師からのフィードバックを受け、チームプレーの経験を積むためにも学校で学ぶ意義はあると考えます。しかし、こうした相手あってのものを除くと、世の中のほとんどのものは独学でこそ高いレベルまでたどり着けると考えています。
英語はその最たるものです。私は英語を独学で身につけて、「英語学習に挫折する最大の理由は、学校で学ぶからでは?」とすら考えています。今は昔に比べて独学による学習環境はあまりにも充実しています。分かりにくい概念や、難しい理論はネットで検索すれば分かりやすく図解化されていたり、動画で解説をしていたりします。仕事や学業で必要に迫られている部分を、必要な時に、必要な量だけ、自分の都合の良いタイミングで学ぶ、この効率の良さと学習における時間密度の濃厚さは独学の右に出るものはないと思います。私は中学、高校をほとんど不登校で過ごしましたが、たくさんの人を教室に集めて、先生が一方的に教える、という従来のスタイルは逆に学習密度が薄すぎて能力の高い人の足かせになると思えるくらいです。
大学は外国語大学の短大に入りましたが、4月に入学して5月で退学したくなりました。自分でやったほうが圧倒的に学習効果が高く、独学の時間の邪魔になると感じたからです。外大に通っていましたが、英語力は独学による読解のみです。それで身につけた英語力を持ってアメリカの大学に行き、帰国後は外資系企業で働きました。英会話スクールなんかが入り込む必要性は1ミリも感じません。ただお金と時間の無駄になるだけです。
今ほど独習が報われ、学習効果の高い時代はないと思います。超独学法で理論を展開されている野口悠紀雄さんに全面同意します。
活きた英語は経験することでしか身に着けられない
英語力は役に立ってなんぼです。学生時代にやたらと英文法マニアの男がいて、ものすごくマニアックな文型とか表現が大好きな人でした。知識は私よりありましたが、真の英語力は私の方が上だと思っています。なぜなら私は海外の大学やビジネスの現場で英語を使った経験を、かなり積むことが出来たからです。彼の卓越した英文法の知識は確かにすごいです。英文法を教える予備校の先生や英文法の研究者になれば、力を発揮出来るのかもしれません。しかし、世の中のほとんどの人は英文法の専門家より、メールや会議で意思疎通をするための英語を求めています。つまり、活きた英語というのは、知識としての英語ではなく、相手の伝えたいことがわかり、こちらの伝えたいことが伝わる英語なのです。
その英語は経験を経ることでしか身につけることは出来ません。私は外資系企業に入社して、何百回、何千回とメールや資料を英語で書きまくった経験を積みました。そのおかげで、1万人以上いる社員へ一斉送信する英文メールを書いても、「書いている意味が分からなかった」とクレームが付いたことや、誤解をされることは一切なくなりました。会議やプレゼンで英語を使うときも相手に伝わらない、誤解を受ける英語にはなりません。この英語力を支えるのは、過去の英文読解訓練と、現場での途方もない数の経験です。誰でも最初は英文メールを書く時は緊張するものです。いくら知識があっても、単語の誤りや、誤読をされてしまう不完全な文章を書いてしまうものです。しかし、何回も何回も書いていく中で他者の書いた上手な英文を取り入れるなどすることで、どんどん英文も洗練されていきます。その結果、コミュニケーションをする上で申し分のない英文メールをスピーディーに書く力を得ることが出来るのです。人から教わったり、学校に習いに行く必要性は皆無、お金をもらいながら実践を経て経験を積むことが最短最速で最も実力がつく方法なのです。これも実践を重ねる英語における独学スタイルの一つです。
現場のコミュニケーションはスクールで学べない
コミュニケーションはスクールなどで言われているバリエーションだけですべてを学ぶことは出来ません。英会話学校でも、フランクな会話、丁寧な会話といったバリエーションは学べるかもしれませんが、すべてではないのです。やはり、ここでもビジネス現場でバリエーション豊かな英語の活用法を経験するのが最短最速の道といえます。
忘れもしないエピソードがあります。昔、英会話スクールの日本人講師から「英語で年齢を聞く時のフレーズはPlease tell me your age?や、Can I ask your age? と聞きましょう。How old are you?はぶしつけに聞こえます!」と教わったことがあります。また、ネットの掲示板などを見ると、「アメリカ人はみんな年齢を気にしない。日本人は年齢を気にしすぎだ」といった発言が多くあるのを見てきました。それをみた私は真に受けてしまい、「アメリカ人は日本人と違って年齢を気にしていない人たちである。年齢を尋ねる時はPleaseをつけたり、疑問形で聞けば堂々と聞いて良い」という認識を持っていました。
外資系企業で外国人と一緒に働いて気づかされたこと、それは相手に年齢を尋ねるのは、日本人同様にかなり気を使わなければいけない行為ということです。誰彼構わず、すぐに年齢を尋ねるのはとても失礼な行為であり、そのようなことをしている人はいませんでした。特に体を鍛えたりエステに通って「アンチエイジング」をしているような意識のある人は、男女問わず自分の年齢を気にしている人が多く、うかつに年齢を尋ねることはNGということを実体験をして知りました。「日本人は年齢を気にしている。外国人は気にしない」というのは大間違いで、「年齢を気にする人、しない人がいる」というのはどこの国や言語でもまったく変わらない事実であることを理解できました。実際、外資系企業のパーティーなどゆるい空気の中でも、欧米人同士が年齢を尋ねる時も、かなり丁寧に聞いていた場面を何度も目撃しました。”I’m wondering if I could ask how old are you?”という尋ね方をしていました。”Please tell me your age?”なんんて習ったとおりに聞いたら、失礼だと思われてしまうと思います。
こうした異文化でのコミュニケーションの重要な部分を知らなければ、英語が活用できるとは言えません。英会話スクールではこうしたコミュニケーションのバリエーションの細部までをサポート出来ませんから、自分の身をもって体験したり、話を聞くことでしか得られないノウハウと言えます。やはり独学でしか身に着けられない領域の話と考えています。
「英会話を学びたい!」と、留学したり英会話スクールに通う必要はまったくないと思います。いつの時代でも独学こそが最強の英語学習法なのです。
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