自己紹介・リーマンショックで人生ガチで詰みかけた経験

今回は自己紹介動画第3弾、リーマンショックで人生ガチで詰みかけたって経験を語っていきたい。人によってリーマンショックに対する感覚は大きく違うと思う。なにそれおいしいの?ってほぼ無風だった人もいると思う。幸運にもノーダメージだった人には想像もつかないと思うけど、黒坂の場合はこのリーマンショックでガチで息の根を止められそうになり、人生最大のピンチに陥った。今見ればネタというか笑い話だけど当時はボットン便所にスマホ落としたくらいの絶望感だった。そしてあなたがこれからの長い人生、同じような世界的金融危機で絶望を味わう可能性はゼロじゃない。そんな時、強く乗り越えるための道徳の教科書みたいなノリでこの動画を活用してもらえたら幸いだ。

リーマンショックが起きたのは2008年。この年の6月、黒坂はアメリカの大学から帰国して就活用スーツを買い、ソフトバンクで携帯を契約したりで忙しく動いていた。英語力と留学経験があって、留学先で米国会計もしっかり勉強してきた。リクナビの求人サイトを見ると、英語力を活用する会計職は山ほどある。星の数ほどある求人の中でたった1社決めるなんて簡単すぎワロタ。正直、自分が本気で就活すれば秒で決まるっしょ、と人生勝った気でいた。

当時、自分は世の中の景気を求人数を見て判断してた。世の中の景況感は経済アナリストとか、有名メディアとか、国の調査データより求人数を見るのが一番いい。理由としては企業の業績がいい→事業拡大で求人を出す→企業が募集する求人数が増える→経済が活発、ということだから。どんな指標よりも信用できる「生きたデータ」だと自分は当時から思っていたしそれは今も変わらない。オレは毎日のように求人数をチェックしてた。どれにしようかな~早く就活始めたいなーってワクワクしてた。ところが7月くらいまで鬼ほどモリモリあった求人が突然大激減した。最初は見間違いかと思わず3度見したし、PCのブラウザでF5ボタンを10万回くらい連打したけどやっぱり求人数がおかしい、あまりに少なすぎる。原因を探るとどうやら帰国3か月後の9月にリーマンショックが起きてこうなったと気づいた。リーマンショックの第一報を聞いた時は「どこかのサラリーマンのオッサンにショッキングな事が起きたんだろ。まあ、オレには関係ねえわどうでもええわ」と思っていたけど、実は自分が誰よりも瀕死なほどダメージを食らってたと後から気づいた。自分は高卒の時にも就職氷河期の洗礼を受けたのに、今度はリーマンショックかよ。「なんでよりによって就活のタイミングで100年に一度の金融危機を食らうんだよ。神様はドMか」自分の運の悪さを呪いたくなった。だけどまあ、これまでの人生でそれなりに逆境を乗り越えて来た自分ならなんとかなるっしょw とこの時はまだまだ舐めプしてた。魔人ブウおちょくってるアルティメット悟飯と同じノリで。これはやばすぎてもうどうにもならない、今回ガチで人生のピンチだと気づいて顔面蒼白ブルーライトになるまでそれから数ヶ月もかからなかった。

 

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絶望的な就活前線

当時、黒坂は米国公認会計士(US.CPA)の資格の勉強のため、梅田にあるアビタスという専門学校に通ってた。そこでは資格取得だけでなく、就職斡旋もしてくれる。自分は留学先で米国会計を学んできたし、就職先は会計力と英語力を活用できる会社にしようと決めてた。求人を見ると、大手監査法人、税理士法人、大手外資系企業、日系グローバル企業などなどがずらりと並ぶ。ずっと大手企業で世界をまたに活躍することを憧れていたオレには、「卒業したら自分もこうした会社で働くんだな」とかっこよく英語を使って大学のクラスメイトにドヤり散らかす姿を妄想しながらうっとりと求人を見ていた。イメージ、5才児の前に働く車のおもちゃを並べてる状態。

リーマンショックで求人が激減する直前、オレはアビタスの募集するインターンシップに申し込みをしていた。内容は大手税理士法人で移転価格税制コンサルタント。英語力、税金、会計スキルをバリバリ活用する仕事で、インターンシップなのに時給も出るし、そのまま正社員就職もできる枠があるということでTボーンステーキ以上によだれしたたるおいしい話だった。この案件の事前告知を見て、自分は毎日PCの前に正座待機で募集開始直後に光の速さで申し込みをした。間違いなく応募者第一号は自分だったはず。「人気の案件で募集人数が多いですが、募集人数も多いですし米国大学留学経験もあって若い黒坂さんならほぼ確実に決まると思います!そのまま正社員もいけるはず!」と担当者は力強く言ってくれた。それを聞いた時、「勝ったな」「あぁ」って一人エヴァをやろうと思ったほどだった。その後、リーマンショックが起きたことで募集人数は1名に変更された。アビタスからメールが届いて「1人の採用枠にすでに100名を超える応募者を頂いておりまして…」とか書いてあってオワタと思ったが、「いやこういう時こそポジティブにいけ。クールになれ。諦めなければ夢は叶うと。神様は頑張ってきた自分を見放すわけがない。この貴重な1席はきっと自分の元に与えてくれる」と思っていた。自信満々だった自分はあっさり落とされ、たった一つの席は高キャリアでフルタイムで働ける主婦がもぎ取っていった。正直、オレはその時、心からその税理士法人を恨んだ。「インターンシップというのは、若者に可能性を与えてくれる制度ではなかったのかよ! 前途有望で、フルタイム勤務をする気満々で、努力に努力を重ねた若者を見捨てて、即戦力の人を採用するなんててめえらの血は何色だ!」と。まあそんな南斗水鳥拳な事を叫んでも誰も助けてはくれない。

インターンシップの戦いに破れ、世の中の厳しさを知った。瀕死の自分をオーバーキルするような速報がこのタイミングで入ってきた。体力ゲージほぼゼロの相手に真空波動拳食らわせるレベル。その速報とは学生時代、ろくに勉強せずウェーイって過ごしてたクラスメイトが次々と正社員の内定を得ていることだった。「リーマンショックでヤバいっていってたけど、なんとかなったわーw ギリセーフw」そうやって笑顔でいう彼らの言葉に心えぐられた。これいうとドン引きする人もいるかもしれないけど、正直、黒坂は大学に入ってタコパやーとか金髪留学生とパーリーピーポーウェーイとか騒いで遊んでばかりいるクラスメイトを心の中で見下していた。「貴重な学生時代をそんなことばかり言うことに費やすなんてこいつらはバカだ」と、自分は毎日、図書館にこもって一人で勉強をしていた。留学もした。成績もオール「優(最上)」で、無遅刻・無欠席・無早退だった。中学生、高校生の時の自分が見たら夜神月の地縛霊が憑依したと思うくらい頑張った。土日はコールセンター派遣をして学費を稼ぎながら頑張っている苦学生だったんで「せいぜい親のすねをかじって遊んでばかりのキリギリスやってろ。就活で苦労するがいい。”上”で待ってるで?」と下に見ていたクラスメイトが次々と内定を得て安堵する様子を見て、オレは発狂しそうになった。いや実際に発狂して夜、部屋で怒りの奇声を上げていた。多分、近所の人は黒坂家が急にニワトリを飼い始めたと誤解しただろう。自分は元々短大に入って、そこからアメリカの留学をするために学部に編入したけどこんなことなら短大を出てすぐ就職すればよかったと後悔した。ボコボコに打ちのめされたタイミングで、元コールセンター仲間に呼ばれて久しぶりに再会することになった。なんかお祝いしてもらえるらしいし、元気もらえたらいいなと思って参加した。「黒ちゃんは私たちの希望の星や。自分で努力してアメリカまでいってすごいわ。いよいよ就職、頑張って大物になってや!」とポルトガル料理と酒を奢ってもらい、みんなからの応援メッセージ付きのお土産までもたせてもらった。「ところがどっこい、ワイはまだ無い内定ニートやでw」とは最後まで言えず、帰り道は仲間にお祝いをしてもらったはずなのに、なんだか人を騙したような居心地の悪さに包まれた。結果を出してないのに応援されるのはとても辛いことを学んだ。

でも腐って寝てるだけでは何も始まらないので、それから毎日、気が狂った勢いで求人に応募し続けた。大体、鮭が川を上るのと同じレベルの勢いで。応募先は大手企業とか外資系企業が中心で、英語力を活かせる会計職ばかり。今考えるとマジでアホすぎるけど、当時のオレはベジータよりもプライドが高かったので、他のクラスメイトみたいに英語をまったく使わない名も無い中小企業への就職で妥協なんてとうてい受け入れられなかった。ここまですげー頑張ってきたのに、妥協して小さな世界に収まるなんて許せるわけがない。この時の自分は結婚するなら資産100兆円の20代のイケメン石油王以外は絶対ムリポといってる婚活女子よりもプライドが高かった。当然、金融危機で経済全体が瀕死状態の状態で簡単に希望が通るわけもなく、何十件応募してもすべて同じ理由で落とされた。「23歳から27歳までブランクな点が懸念」とのことだった。オイオイ待たんかい。この4年間、オレは遊び呆けてたわけじゃねーぞ?履歴書をもっとちゃんと良く見てくれ!TOEICも英検も取得し、留学もした。なんでちゃんと見てくれないんだ。毎日気が狂ったように応募し続け、とうとうトータルで応募数は100を超えたけどノーレスポンス。途中からベジータなプライドをポッキリ折って、大企業以外の中小零細企業の会計職にも応募したけどすべてフルシカト。人生でこれほど心折れたのは初めての体験だった。それでもバグったターミネーターのようにひたすら応募し続けた。ある日、ずっと0件だった受信ボックスが1件になった。慌てて受信箱を見ると、「ぜひ面接に来てください」と回答があった。体中の血液がマグマみたいにグツグツ沸騰するのを感じる。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 大学の図書館の中でジャングルの部族がよくやってるのと同じ雄叫びをあげそうになったのを必死に堪えた。でも内容をよく見て現実に引き戻された。勤務先は福岡県の片隅にある、小さな会計事務所のアルバイトだった。勤務時間は一日3-4時間、時給1,000円で内容は資料整理。ダメだ。日給3000円じゃさすがに生きていけない。せっかくだったけど泣く泣くこちらからお断りした。

 

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地獄のコールセンター

ある満月の夜、部屋の窓から見えるでかい月を見ながらオレは決心した。「大阪にいても埒が明かん。こうなったら東京にいったるわい。ネットに出てない求人も含めて総当りで戦ったるわ」と。だがあいにく金はない。現時点の銀行の口座残高は8000円くらいしかない。さすがに無理ゲーすぎる。そこでオレは大阪の通販ショップのコールセンターで受注オペレーターのバイトでお金を作ることにした。土日はもちろん、平日も通うことにしたので学生の身でありながら、自由時間も勉強の時間もゼロになった。もっともっと勉強したいことは山ほどあったし、本来学生は思う存分勉強をするのが仕事のはず。でもしゃーない。東京で戦う軍資金がいる。

アメリカ留学直前ギリギリまでコールセンターで働いていたけど、帰国後はすぐ就職が決まってもう二度とコールセンターで働くことはないと思っていたのに、生きるためとはいえ一度はさよならした仕事に再チャレンジするのは負けな気がした。そしてこのコールセンターは居心地の良かった前回の職場と違って厄介なことが多かった。会社は女性向けの商品を使っていて、自分に商品知識がゼロ過ぎてオペミスが多かった。お客さんから化粧品の内容物について質問をされて、「レフィル下さい」と言われているのに、間違ってコンパクトつきの割高な商品を案内してしまってしてスーパーバイザーから激詰めされた。まあそのおかげで女性向けコスメに詳しくなれたけど。このコールセンターには10代の若いフリーターも数多く働いていて、彼らに年齢を聞かれるのがすごく嫌だった。しぶしぶ今年で27歳と正直に答えると、「え? その年で派遣なんすか?それって割と人生やばくないですかw 今不況なのにw」と笑いながら言われて、人生で初めて出会ったばかりの他人を本気で殴りたくなった。上司はかなり厳しくて「1時間で2回もトイレにいかないでください。サボらずもっとたくさん電話取ってください」と言われてくそったれーと腹を立てていた。少しの時間でも英語に触れたいと思って英字新聞を休憩室で読んでいたら「それ本当に読めてるんですか?英語できるって自慢したいの?」と言われた時には、怒りのリミットブレイクして背中のバスターソードで凶斬りをかましたくなったけどなんとか抑えた。とにかく東京に行くお金を作るために死にものぐるいで働いた。

ある日、秋のスーパーセールの日に出社した。コールセンター勤務経験者なら知らない人はいないと思うけど、待呼数といってオペレーターが電話取り切れず、お客さんが待っている数字がディスプレイに表示されるけど、この日は300件を超えてて電話を取っても取っても無限に注文が入り続けて最後は声がかすれて出なくなるほど忙しかった。夜中2時にようやく開放され、タクシーチケットが渡された。ぞろぞろと他のバイトと一緒にタクシー乗り場へいくと、タクシーが長蛇の列を作っていた。タクシーの後部座席に身を沈め、ぼんやり外を眺めていると運転手さんが「遅くまで仕事お疲れ様でした」と話しかけてくれた。タクシー運転手は景気に敏感という話を聞いたことがあった。日経新聞でタクシー運転手に景気感を聞いて指標にする手法もあるくらいだ。リーマンショックについてたずねてみると「正直、しんどいですわ」と答えが返ってきた。やっぱりそうか。その話を聞いてこの運転手さんにめちゃめちゃ親近感を持った。お客さんは激減して乗っても長距離を利用してくれなくなったらしい。原因は企業が経費節減の為に残業をさせないようにしたからとか。なるほどどこも厳しいんだな。自分はアメリカの大学の経済学の授業で経済不況になるとタクシーの需要は価格弾力性が高いので利用されにくいと学んだが、まさか自分の身をもって社会科体験することになるとは。「自分たちドライバーは大変ですが、お兄さんは大手企業勤務でいいですね。羨ましいですわ」と言われたけど、いやいや、只今絶賛大ダメージ食らってまんねんw とは恥ずかしくて言えず、「ええ、まあ」とよくわからない返事をした。今、しょうもないプライドを捨てることができたのはこういう経験のおかげだ。

当時、オレは夜が来るのが怖かった。なぜかって、将来のことを考えすぎて眠れないから。「もしかしてオレは呪われているんだろうか?」そう思った。どれだけ頑張っても、最後の最後にはあざ笑うかのような結果しか待っていない。そう思うと、将来が怖い。27年生きたし、もう十分かな、と。半分はすっかり諦めモードで「どうせ応募してもダメなんだろうな」と思いながら、毎日機械的に書類だけは出し続けたが反応はゼロが続いた。でも残り半分は「東京にさえいけばなんとかなるかもしれない」と何の根拠もないけど淡い期待があった。というか無理にでも希望を作らないとやってられん。夜、目を閉じても将来不安で10時とか11時に布団に入っても寝付くのは夜中3時過ぎ。路上のホームレスになる夢を何度か見た。唯一そんなオレの心を癒やしてくれたのはスキマ時間で楽しんでいたニコニコ動画だ。投稿した動画に「クソワラタwww」つけられるコメントにはずいぶん救われ、その間だけは就活のことを完全に忘れられたのだ。ニコニコ動画に大学のPCルームからゲーム動画を投稿して、つけられたコメントを読むのが楽しみだった。コールセンターで働くようになってから、後半は空き時間は勉強ではなくニコニコ動画ばかりだった。だからニコニコ動画にはマジで感謝してる。

 

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何も持たずに上京へ

コールセンターで1月末まで働いた。2月上旬に30万円ほどの資金を作ったので、それを持って東京へ行くことを決意した。母親は自分をひどく心配した。「せめて3月末の大学卒業まで大阪にいたら?」と。「いや、オレはこれ以上時間をムダにはできない。東京で勝負してくる。世話になった」と母親に告げた。実家もお金がない。これ以上親に迷惑はかけられない。大学から卒業式の出席についての連絡が来たが、「参加しない」に回答して学位記は東京へ郵送してもらうことにした。卒業式なんぞ茶番に付き合っている気持ちの余裕はない。このままだと、オレは4月の新卒シーズンに無職27歳になる。後2ヶ月。もう時間がない。

東京へ行く日、オレは荷物をクソでかいスーツケースにブチ込んで母親に梅田の夜行バス乗り場に連れて行ってもらった。翌朝はいよいよ東京だ。梅田まで送ってくれた母にお礼を言ってバスに乗り込む。4列シートではなく、3列シートを選んだのは少しでも睡眠をとって到着した日から就活が出来るようにと考えてのことだ。夜行バスに乗ったことがある人はわかると思うけど、これほどガチャが厳しい乗り物はない。体臭がゾンビのやつ、いびきがパチンコ店レベルにうるさい奴、冷蔵庫みたいなデブが隣に来たら即オワタになるけど、この日は神様が武士の情けをかけてくれて隣にヤベえ奴はこなかった。…せっかく良いガチャを引いたのに、結局不安すぎてまったく眠れない。バスの中でやることがなくて暇なので、SAのトイレ休憩で停車する時に降りて出発までずっと星空を見てた。東京ではいいことありますように!とお祈りしておいた。

バスは東京駅八重洲口に到着。自分はお上りさんで何がなんだか分からないけど、重いスーツケースをゴロゴロ転がしながら事前に予約した南千住にある宿へ向かう。しばらくお世話になるねぐらは日本堤という場所にある日雇い労働者宿泊施設だった。一日2,000円ちょっとで3畳のスペース、これがオレのプライベート空間になった。トイレもシャワーも共同。ほぼ一睡もしてなかったので眠気を吹き飛ばすためにシャワーを浴びた。床がヌルヌルしてるし排水口は髪の毛がごっそり詰まってるし生臭いし、背筋がゾッとするほど気持ち悪かった。ここマジで宿なのかよ。でも路上生活より100億倍マシなのでありがたく考えようと思った。シャワーを出てさっぱりしたところでWifiの通った共有施設に移動して、人材紹介会社へEメール返信をした。PCがないのでPSPというゲーム機を使ってメールの送受信をした。共有施設は訪日外国人と日雇い労働者しかいなかった。この状況を客観的に見て、惨めというよりなんかこの構図に笑えてきた。周囲は旅行中でスーツケースとリュックサック背負った外国人だらけの中、スーツ着た男がゲーム機で就活してるってどないやねんと。

食費を極限まで抑えるため、玄米・大豆・ゴマを通販で買った。玄米と大豆は水につけて発芽させると栄養素が増えるので、それにゴマと塩を振って食べた。朝・昼・夜、3食とも発芽玄米&大豆を食べ続けて食いつなぐ。ビタミン、ミネラル、炭水化物、タンパク質をカバーする完全食品と勝ちを確信したけど、残念ながら油が不足したのでだんだん髪の毛がパサパサ、肌がカサカサするようになったので時々サラダ油をかけて食べた。十六黒米とかオーガニックグルテンフリーをありがたがってる健康的意識高い系もビビるレベルの食事だった。この時期、必要に迫られてお金をかけずに栄養を取ることについてガチで勉強しまくったのが今すごく役に立ってるので人生どこで何が役に立つのかわからないね。

東京に来て午後から早速、スーツで派遣会社の面接に行った。そう、ここでオレは作戦を変えた。いきなり「正社員就職」は多分無理だ。だから「紹介予定派遣」で入ろう。一般的に紹介予定派遣なら、正社員登用よりハードルは低い。それに目先のお金が必要だ。手元の20万円ちょっとのお金が底を尽きる前に給与が振り込まれなければ文字通り死ぬ。毎日、息をするだけでお金が減っていく。とにかく時間をムダにせず動かねば。

派遣会社にいくと毎回驚かれた。「こんなに高い英語力と資格、留学経験があって20代なのになぜ派遣で働くの?」と。やかましい、んなことわかっとるわい。でも働きたいけど誰も引き取ってくれないんだよ。正社員、紹介予定派遣問わず選り好みせずに次々と応募する。とにかくアルバイトでもなんでも、仕事を決めないと詰む。生活費が1日3000円くらいなので、1ヶ月9万円、2ヶ月で貯金が底を尽きるからマジで必死だった。だが、1週間経っても仕事は決まらない。焦ったオレは、最後にはコンビニにおいてあるタウンワークを手に取り、「英会話講師募集!時給1,100円!」こういうアルバイト求人に応募もした。生きるためなら、プライドなんていらん。結局、場所の都合が合わなくていかなかったけど。派遣会社からは「あなたはコールセンターの経験が長いので、英語力を活かせるコールセンターなら案件がありますが?」と言われて泣きそうになった。…悪い意味で。オレは米国にいってあれほど必死に勉強して東京まで来たのは、コールセンター派遣をするためじゃないのに!と憤慨していた。

でも自分は決して被害者面をしたいわけじゃなくて、悪いところもいっぱいあった。その一つが社会常識がない点。一度これで盛大に失敗した。派遣会社の営業担当に連れられてクライアントの職場見学をしにいくことがあり、職場見学前に担当者と事前打ち合わせのために駅前のカフェに入った。よければ注文どうぞ、と言ってもらえたので「え?これって奢り?マジかよ!」とテンションが上ってクソでかいパフェを注文したら怒られた。「こういう時は一番安いコーヒーを注文しましょう。失礼になるので」と言われてしまった。27にもなってマジで常識がないアホなので視聴者の皆さんは真似をしないようにしようね。

少しでも就職の成功率を高めようと派遣会社だけではなく、上野にあるハローワークにも行った。180円の電車代が惜しくて1時間かけて徒歩で向かった。残念ながらハロワには正社員就職に繋がりそうな仕事は一つもなかった。でもがっかりするのではなく、「ムダに電車代を使わなくてよかったー」って感じでホッとしてしまった。今考えると思考が狂ってたな。ハロワを出るとテレビ番組のカメラマンが待ち構えていた。「リーマンショックで就職難の昨今ですが、仕事決まりそうですか?」とマイクとカメラを向けられた。当時、心底心が腐っていたので「正直、絶望的な気分で、リーマンショックを恨んでいます。もうこの世から消えてしまいたい。」頭に浮かんだことをそのまま答えてしまった。これが初めてテレビデビューした瞬間だと思う。「そうですか…大変ですよね…」と取材班から同情されたが、「お前らは高い給料もらってるだろ!」と逆にイラ立ってしまった。

 

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事故物件へ引っ越し

平日は死にものぐるいで就活をしたけど、土日祝は会社が休みで活動できなかったので家探しをした。「古くても駅から遠くても治安ヤバくても毎晩地縛霊が1ダース横に並んで登場してもなんでもいいから、とにかく値段が安い物件を紹介してくれ」と賃貸不動産屋をはしごしまくったら、足立区で駅徒歩7分のオンボロマンションを紹介してもらった。家賃は月5万円で共益費2000円、ということは1日あたり1700円ほどで住める!東京23区なのに安すぎワロタ。「人気物件でもうすぐ3月で引っ越しシーズンになるので今すぐ申し込みしないと空きがなくなりますよ」と煽られてアホだった自分は焦ってその場で契約した。初期費用は諸々含めて24万5000円で速攻で引っ越しをした。今の宿は夜中、外国人観光客が騒いてよく起こされたので静になると思うと嬉しかった。

 

【内訳】

敷金50000円、礼金50000円
家賃2月13日~日割28571円
3月分      50000円
共益費2月分     1143円
3月       2000円
鍵交換代       15750円
保証会社       26000円
火災保険       20000円
契約事務手数料   2100円
合計      ¥245,564-

※共有パソコンからのスクショ

 

ちなみにこの物件、なかなかヤバい奴で地縛霊は一度も出なかったけど壁の中をネズミが走り回る音とチューチュー鳴き声が聞こえてくるし、自分が住んでた103号室の部屋にピンポイントで殺人事件が起きて大島てるにガッツリ載ってしまうという事故物件だった。

加えて目の前が足立区加平高速道路が走って窓開けると24時間排気ガス吸い放題タイムになるので、窓を締め切って生活してたらカビルンルンが繁殖して畳が変色した。欲しがりません勝つまではの精神でエアコンは使えないけど、部屋は締め切ってるのでこの部屋は夏場は無料サウナルームになる。とりあえず目先一番の問題はネット契約だった。就活で担当者とのやり取りとか仕事への応募にネットがいる。南千住の宿では共有スペースにWifiが飛んでいたし共有パソコンが使えたけど、マンションではネット契約をしないと使えない。でも5000円の月額料を払えるお金の余裕がなかったので、格安で使える裏技を発見した。裏技ってなんやねんってことだけど、近所に1階にマクドナルドが入ってる24時間営業の西友スーパーがあったので、月額300円くらいで公衆無線LANを契約してマクドナルドの店から漏れ出るWifiを使ってネットを使った。これならマクドナルドの店内に入らなくても月額たった300円でネットが使える。就活のメールのやり取りをする時はスーパーに出かけて、マクドナルドから漏れ出たWifiにつなげて就活するルーチンだった。月300円で高速でネット使い放題、この裏技は将来的に国際特許取る予定なので、今のうちに真似したい人は真似してくれ。

 

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一筋の光明

ある日、ついに面接に呼んでもらえることになった。東京・丸の内にある某・外資系企業だ。しかもアルバイトや派遣ではなく、紹介予定派遣採用。つまり、正社員前提で来てくれベイベーってオファーだ。ついにキター!「面接のお願い」というメール件名を見た時は、まだ面接すらしてないのに嬉しさのあまりいつものマクドナルドの前でオンギャー!と奇声をあげてしまった。あの時の声は学術的に見て胎児の産声と同じ周波数が出てたと思う。

面接を受けに丸の内ビルにやってきた。気合が入りすぎて待ち合わせ時間の1時間以上前に来てしまった。ビルのセキュリティを通って会社に向かう。受付を通ると、雑誌や人伝いでしか聞いたことがなかった外資系企業の華やかな内装に迎えられた。「ここマジで日本かよ」って思うほど金髪の社員が歩き回って英語が聞こえてきた。でかいディスプレイには自社PR映像がリピート再生され見えるもの、聞こえるものすべてが英語。緊張がピークに達して担当者に応接室へ誘導されてるのに、間違って執務室に入ろうとして慌てて止められてしまった。アホすぎワロタ。

ジョディさん(仮名)というどこの国の人か分からない相手と面接がスタートした。ワイはちょっとだけ英語が使えるんやでPRのために英検1級レベルの難しい単語を使いまくってるのに、ジョディさんは全て理解できている様子でビビった。まあ外国人なんで当たり前なんだけど。自己PRターンが終わって相手から質問攻めに会う。前職の仕事内容を中心に、今まで人生でぶつかった困難やその対応方法。将来どんなキャリアパスを構築したいか?みたいなことを英語で聞かれた。「このチャンス、絶対に逃してたまるか!」という気持ちがあまりに強すぎて、それが焦りにつながりひたすら慌てふためいて受け答えをしてしまった。ジョディさんから「Are you nervous?」と心配されてしまうほど焦っていた。落ち着けよ自分。情けないぞ自分。こんな応対で受けるわけないよなと面接後は肩を落としてトボトボとビルを出る。紹介エージェントに面接が終了したと電話。その後、せっかく来たしもう来ないと思うので冥土の土産に丸の内を歩きまわろうとウロウロしてたら、5分もせずに携帯に連絡が入った。「素晴らしい人材だ。ぜひ正社員を前提に来てほしい」と言われた。え?マジ?こんなキョドりプロフェッショナルのクソポンコツでええのん?こんな自分を必要としてくれていることがはっきり伝わってきてうれしくて涙が溢れて丸の内界隈の高層ビル群がグニャグニャに見えた。中南米のワニは目を乾燥から守るために涙を出すという話があるけど、自分はワニのDNAを引き継いていることが判明した瞬間でもあった。数年後、この会社でばりばり英語を駆使して、精力的に仕事をするビジョンが広がっていった。とうとう給与がもらえる。これで生活ができる!と庭から原油出し放題のアラブの富裕層になった気分になった。面接前に丸の内を歩いている時は「自分には一生縁がないような貴族エリア」という感覚だったけど、「そこのお上り観光客よ。オレサマこそ丸の内金融マンぞ」と尖った牙むき出してイキリ倒したい気持ちになってた。

家に帰った。いつものようにネズミが壁の中で運動会をする夜、大阪で自分を心配していた母親に小躍りしながら電話をかけた。母はむちゃくちゃ喜んでくれた。季節はもうすぐ3月、ギリギリ4月の大学卒業を迎える時期の前に春を迎えることができたと最高の気分だった。月曜日、いよいよ初出社となった。雇用保険番号と年金手帳を提出し、入社手続き契約を交わした。よーし、これでそう簡単に追い出されんぞ。派遣期間中の時給を契約書で見せられてガチでおしっこチビリそうになった。時給は1850円、時間外だと2300円以上。毎日8時間勤務で週5日勤務でかっちり働けばそれだけで30万円に届く。え?ワイ氏、コジキから一夜にして日本長者番付入ってまうレベルになってるやん?モリモリ働くのがこんなに楽しみだと思えるのははじめて。入社手続き後、同期のメンバーと挨拶した。自分除いて全員帰国子女と親が外国人の人のみで、純ジャパは自分だけ。帰国子女はアメリカ歴15年でハワイとLAで育った人とか、母親がアメリカ人で父親が日本人で3歳からずっとシアトルで育ったみたいな人ばかりだった。純ジャパの自分のみ。お互いに自己紹介が済んだ後は軽い社内ツアーをしてもらった。改めて社内を見るとスタイリッシュすぎる。無料食堂があって、シェフがスパゲティとかパンを焼いて提供してる。持ち帰りもOKらしいので、今日からまさかの食費ゼロ円生活。ワイは今日からコジキはコジキでもプロフェッショナルのコジキや!と腕まくりをした。

午前中から研修が開始、内容は社内システムの使い方とかが中心。マニュアルも完備だしなんとかできそう。ランチは早速、社内の食事を利用させてもらった。選ぶのが迷うほど沢山の食事が用事されていた。お菓子から、コーラから牛乳まで取り揃えたジュース。インスタントラーメンにパン、それに果物や野菜まである。あばよ近所のイトーヨーカドー、すまんがもうお前に用はない。毎週金曜日は仕事終わりに社員の交流パーティーみたいなのがあるらしいので、ウケ狙いでメントスコーラやったら笑ってくれるかな?とかバカな妄想してしまう。

日々、研修に参加して忙しい日々を送っていた。ある日、研修が終わり、社内チャットで人事から「仕事が終わったら人事部に来てほしい」と言われた。多分、正社員登録についての話だろうと予期していたのだが、全くそのとおりだった。今は派遣だが、正社員前提として今後も研修に臨んでほしいけどどうしますか?と聞かれた。答えは決まっている。正社員登録後は9時間勤務と、1時間長い勤務となり年収は350万円、初年度のボーナスは給料の1か月分を支給。自分としては十分すぎる給料だと思った。10代終わりからずっと働いてきたけど、こんなにもらえるなら文句はない。社員食堂で朝・昼・夜食事すれば、食費はゼロ円だ。

家に帰ると大学のクラスメイトからメールが来ていた。それを見て思い出した。今日は大学の卒業式じゃねえか。「黒ちゃん、今どこおる?」と自分を探す連絡が入っていた。仕事で手一杯で大学のことをすっかり忘れてた。大学の卒業式、みんなが振袖や袴なんかをわざわざ調達して鼻息を荒くするほどに大事な日だ。だが、クラスメイトとおしゃべりに興じることに惹かれる友達なんていないし、今は東京にいる。へっ、お前ら久しぶりだな、”上”で待ってるで?と言いたくてたまらなかった。

ある日、会社で一人で昼飯を食っていたらYさんに声をかけられた。年齢は23歳で、アメリカのニューヨーク大学を卒業したばかり。野球が好きで、アメリカではスポーツビジネスを専攻していたのだと言う。元々彼をまとう雰囲気には、DQN臭が漂っていた。その予感は見事に的中した。自分はこのYからずいぶんいじめられた。この会社の社員は優しくて余裕があってエレガントな人が多かったけどYは違った。「黒坂さんあなたバカですか?」とか、「日本語分かりますか?」とか徹底的にバカにされた。その場で殴り倒してやりたくなったが、これが若さ故の過ちかとシャアになったつもりでぐっと我慢した。しっかり実力をつけて文句を言えないようにしてやればいい。Yは自分の負けん気に火を付けてしまい、自分は猛然と仕事を頑張った。

自分はいつもご飯を一人で食べていたけど、ある日、めちゃめちゃ仕事ができる女性の先輩社員から話しかけられた。「黒坂さん大丈夫? Yさんってあたり強いよね。私泣かされたことあるよ」といわれ、ボッチだった自分に仲間ができた気分になった。「この会社、仕事で高いパフォーマンス求められるしYさんはきついけどめげずに頑張っていこうね。絶対にやめないでね!」と言われた。仲間ができて元気が湧いてきた。この女性社員とは毎日休憩時間にご飯を食べておしゃべりをする仲になった。心強い味方ができたし、おしゃべりも楽しかった。

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人生最大のピンチになった日

だが終わりは突然やってきた。それは一生忘れることがない2009年3月31日、人生のピンチは唐突だ。下痢と同じでいつだって唐突だ。仕事を終え、17時10分にログオフして帰ろうととしているところに人事部から「今すぐきてください」との連絡が入った。このタイミングで人事部から連絡があると言うことは…もしかしたら異例の昇給!?いや、今回はなんかすごく嫌な予感がする。でもさすがにいきなりクビとかはないよな?でもでもこれまで不運続きだったし、とか色々と考えながら人事部の部屋へと続く階段を上がっていた。ドアの前で自分はクリスチャンでもないくせに胸の前で十字架を切ってアーメン、ラーメン、冷ソーメンと呟いて扉を開けた。椅子に座り、人事部は神妙な顔をしている。おいそんなマジな顔やめろ、笑えよベジータ。そう思ったが人事は笑わなかった。そして最悪な方の予想が的中してしまった。「非常に残念ですが、本日であなたはクビになりました。荷物をまとめて退社してください」と通告を受ける。えっ?ドッキリ?お前の後ろのクローゼットから誰か飛び出してクラッカーとかバンバン鳴らすんじゃないの?どうやら自分はマジで解雇されたらしい。本日、昨日と上司のジョディさんが自分の仕事ぷりをモニタリングして、総合的に判断して試用期間中の解雇を決定したと切り出された。

それを聞いた瞬間、オレは相手がうそを言っていることに気づいた。これは単なる理由の後付けだ。クビを決めたのは絶対にもっともっと以前からだ。その状況証拠はあちこちにあった。以前に「黒坂さんは午後の研修はお休みしてもらって、これまでの研修の自習をしてください」と自分をみんなと違う扱いをしだしたことがあった。これが先週中ごろくらい。つまり、自分をクビにすることは先週にはとっくに決まっていたけど、「この数日間、黒坂を頑張らせたけど改善がなかったのでクビになっても仕方がない」という主張に説得力を持たせるための期間に使われただけと言うことだ。何てこった。自分がクビになるフラグがあちこちにたっていたとはいえ、今日までここで正社員として働けるという希望的観測を持ち続けて、自分なりに頑張っていたのにこれじゃ自分バカみたいじゃないか。

わけもわからないうちのクビ宣告に、相手に言いたいことは山ほどあった。まずクビの理由を知りたい。研修後の理解度チェックテストは悪くなかったはずだし、正社員登録意思も確認されたのにクビになるなんて納得できない。取り消してくれ。今クビにされたらマジで生活がヤバい。だが、この段階で何を言ってもクビにする事は変えられない。不可能だと人事担当者の冷たい眼差しが物語っている。つまり、これでお前はもうおしまいだと。明日からお前は無職になるんだよということだ。「仕方ないですよね」と落胆を出さず、最後まで冷静に落ち着いて振る舞って扉を閉めることができたのは自分でも意外だった。自分の性格ならもっと熱く食らいついてなんなら大外刈り食らわせると思っていたけど、ずいぶんあっさりしている。これは大きな衝撃が後からくるな、そう思った。「ありがとうございました」とお礼を言えたのは自分でもえらいと思う。こういう時はあからさまに怒りを出してふてぶてしい態度を出すべきではなく、表面上だけでもきれいに消えてやろう。でも悔いが残った。最後にあの女性先輩社員に一言だけでもありがとうとお礼がいいたかった。

ビルを出てすぐに母の携帯に連絡を入れる。クビになったといえるわけが無く、「入ってみたらクソみたいな会社だったのでこっちからやめてやった!」と強がってみせた。多分ばれてる。でも母は何も言わず、黙って自分の話を聞いてくれた。ひとしきりイキリ散らかした後に電話を切って東京駅から電車で帰宅。その途中、暗黒の世界へ戻ってきた感覚に染め抜かれた。英字新聞を見ても目が動いているのに、まったく内容が頭に入ってこない。期待を目一杯高めて、そして突き落とされた奈落の底いっぱいの絶望感が胸の中に広がっていく。自分と言う人格を一度は認めたのに、冷たく否定する刃はこんなにも鋭くて、そしてこんなにも心奥深くにつきささるとは。千代田線で乗り換えをして、綾瀬駅行きの電車が入ってきた。ふらりと前に足を投げ出す。あとわずか2メートル進むと電車と接触する。もしもそうなっても、今ならまったく後悔しない気がした。なるほど発作的に飛び込む人はこういう心持ちだったのかと思い知らされた。今なら躊躇なく神風特攻隊に応募できる気がした。世の中は平和になったけど、自分の中での就職戦争はまだ終わっていなかったのだ。

今日は最寄りの北綾瀬行きの電車には乗らず、1つ前の綾瀬駅で降りた。今日はひと駅分余分に歩いて帰りたい気持ちになった。歩いて帰る途中に駅前のイトーヨーカ堂で酒を買って帰り、今日は酔いつぶれようと言う考えだった。すまんな、イトーヨーカドーよ、やっぱり今日からお前に世話になるわ。駅を降りてすぐに弟へ電話連絡を入れる。「マジでさ、入社してびっくりなクソ会社だったから自分からけってやったわw」偽の強者の仮面をつけた。強がってもクビになった事実は変わらないのに…。でも、弟と話して強い兄貴を演じている間だけは、負の精神を外界へ追いやれる気がした。正直、もう大阪へ帰りたい。いや、もう消えてしまいたい。でも兄弟の前では東京で活躍する強い兄ちゃんでいたかった。強がりだったから、弟から返される言葉をまったく期待していなかった。なので彼の答えを聞いた時、自分は東京に来てからずっとこの身にまとう運命と考えていた不運の連鎖を根幹から断ち切れたような気持ちになった。「諦めないでくれ。兄貴は家族みんなの希望の星だ。きっと東京で夢を叶えてビッグになってくれると信じてる。応援してる。頑張ってくれ」と彼はいった。強がっていたけど全てバレてた。この答えには驚かされた。弟の性格を考えると、「はいはい、勝手にすれば」とだけいってすぐに電話を切られると思っていたから。そして反省した。周囲の反対を押し切って大学卒業前に東京に行くと決めたのも、仕事探しがうまくいかないのも、会社をクビになったのも、突発的に飛び込みたくなったのも全部全部自分が原因だ。そして「どうせ自分は生まれつき呪われているから何をやってもダメな結果になる」という強い思い込みと諦めの心を持っていた事に気づいた。良くも悪くも、明日という一日は何が起きるか分からない。それなのに「どうせ明日も灰色で、サイアクな無価値な一日に違いない」と決め付けている自分を恥じた。運命は決まっているのではなく、自分で作るものだろ?会社を追い出されたのも、こうしてむなしくなっているのも全てはオレの行動の結果で、誰かが用意したものじゃない。「残念ですが…」と人事部が口に出した瞬間、ああやっぱりなどうせ最初からダメだったんだという気持ちと、家族の前ではいつも強い兄ちゃんを振る舞っていたけど実は情けないタダのクソザコだと気づいて泣きたくなった。家族や友達にはいろいろとえらそうなあるべき論ばかり振りかざすくせに、実は自分こそが器の小さいちっぽけな人間だと気づいた。でもここで気づけてよかったと思った。電話で弟に深く感謝を伝え、生きる気力を取り戻したオレは、イトーヨーカ堂で酒は買わずにまっすぐ自室に戻った。元々酒はおいしく飲めないし体質で飲んでもすぐ吐いてしまうだけだ。やめよう。弟と話したことでさした光で見えるようになったものは、今の自分にはあまりにも多く、力強く感じた。いいじゃないか。新生活の節目が4月というのなら、明日の4月1日が新たな一歩になっても。一筋の光明と大きな気付き翌日からオレは再び、無職になった。正社員になることを信じて疑わなかった昨日の朝と、無職が確定した今日は同じ朝でも全然違う。でも不思議と気持ちは上を向いていた。

 

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地獄の体験から学んだ3つのこと

そしてオレは大きく成長していた。わずかな期間ではあるが、あの会社で働いたことで大きな学びが3つもあった。「相手の立場で考える」「わらしべ長者的発想」そして「強く生きる」ということだ。

まず「相手の立場で考える」ということについて。なぜ自分がクビになってしまったのか?はっきりした理由は今だによくわからない。だが、理由がわからない時点で、オレは独りよがりで主観的に考えて、客観的に相手目線ではなかった何よりの証拠だ。恥を知れ情けないぞと自分に言いたくなった。世の中は人と人との関係で成り立っている。ビジネスも人と人との関係であることには変わらない。相手のことを考えない人が相手の気持ちをわかるわけがないし、相手から求められることもない。オレは自分が生き延びるために、自分のことしか考えておらず自己中だった。その姿勢が相手に「こんなやつはいらん」と思わせてしまったことは間違いない。結局それがクビにつながったのだろう。彼女とうまくいっていると思いこんでいきなり別れを告げられてみっともなくすがりつく男みたいだなと思った。いやそのまんまだ。それに気づいたオレは心を入れ替えた。自分が得をしたければ、何よりもまず相手の立場で考える必要があることが心の底から理解できた。

会社に就職の応募をする時には「この会社は自分に何を与えてくれる?」というどこまでもお客様思考で傲慢、図々しい姿勢だったと思う。それを改めて「この会社は何を求めていて、自分は相手にどんな価値を与えられるか?」という思考を持つことができた。もっと早く、この思考を持っていればクビになることもなかっただろう。それにリーマンショック直後の厳しい環境だったとはいえ、考えを変えれば就職できていただろう。だが皮肉なことに世の中の多くのことは、失った後に初めて分かることが多いのだ。

この思考を持ってから、オレは全く面接で落ちることがなくなった。心を入れ替えた後のオレは、その会社で働いている社員以上にその会社のニーズを理解してやろうと必死になった。IR情報やその会社のニュース記事を読み込み、経営者の情報を集めた。相手がどんな価値観やビジョンを持っていて、仕事で何を求めているのか?これを真剣に考えた。さらに自分はどんな価値ある経験とスキルを持っていて、相手に価値として提供できるということを情熱的に訴えた。この戦略は驚くほど効果があった。書類が通って面接に呼ばれさえすればほぼ落ちない。4月になって求人が少し改善していた事も追い風になった。面接でも「あなたのような人材が是非欲しい」と言われるようになり自信を持った。求人倍率10倍、20倍と言われてもまったくビビることがなくなった。起業した今、相手の立場で考えることができるようになったのはこの経験がきっかけだ。本当にいい授業だったと思う。

 

2つ目はわらしべ的思考だ。オレは米国会計の勉強をしてきたので、いきなり「英語&会計」の職に総当りで応募してはことごとく玉砕していた。だが、気づいた。いきなりジャンプしてゴールに突撃するのは、近道のようで実は最も遠回りなのだ。「わらしべ長者のようにひとつひとつ、必要なことを積み重ねていこう」この思考を持つ重要性に気づくことができた収穫は大きい。ご存知の通り、わらしべ長者というのは最初はわらと物々交換をしていたのが、最後にはお金持ちになったという話だ。オレはブルームバーグLPという会社でまずは英語力を活かした仕事経験を積むことを選んだ。同社で翻訳・通訳の経験を積み、転職したセブン&アイで経理の経験を積んだ。これで英語と会計の経験もある状態になったことで、それを持ってコカ・コーラへいったことで英語&会計のスキル知識を積み上げることができたのだ。

 

ブルームバーグLPで英語の経験を積む

→セブンで会計の経験を積む

→コカ・コーラで英語+会計のスキルを活かした仕事をする

 

という具合に、正社員で働いて3社目にしてようやく念願の仕事が出来た。でも最初からコカ・コーラが募集していたような案件に飛び込んでも、まず相手にされなかっただろう。

 

最後に「強く生きる」の重要性を理解できた。人生は何が起こるかわからない。いいことも辛いこともたくさんあふれている。どんなことからも学びを得ることができる。だが、その一つ一つの事項を冷静に、自分の学びとして得るには心の強さが必要だ。普通の人は悲しんだり、冷静に考える代わりに怒る。なぜなら怒るのは悲しんだり、冷静さを保つより気持ちが楽だからだ。怒りをぶちまけたり、誰かに話を聞いてもらえばスッキリするだろう。だが、怒りからは教訓や気付きは得られない。せっかく嫌な思いをしているのに、そこから何も学べないのでは、まさに「苦しみ損」といえる。だから心を強く持つことで、どんなに辛いと思えるようなことからも、「自分はここから何を学べるのか?」を考えようにしてほしい。

 

最後にオレからあなたへ。こんな長いおっさんのひとり語りを最後まで聞いてくれてありがとうw 数時間かけて日記を読み返して当時のことを思い出しながら語ってみた。オレがこのエピソードで伝えたかったことを1つあなたに伝えるとすれば、それは「どんなときも成長することを優先させる」という思考だ。多分、あなたは苦労したくはないだろう。いや、あなただけじゃない。世の中のほとんどの人は苦労することを避ける。確かに世の中にはムダな苦労というのはあるだろう。飛行機が手軽に利用できる今、徒歩で移動するのはコスパが悪い。だけど、経験して価値ある苦労というのは間違いなくあるんだ。オレは今振り返ると、本当にリーマンショックの直撃を受けてよかったと思っている。「生きる強さ」を得られたと思っている。変化の速い時代では、強く生きなければいけない。その心の強さをこの経験から学べた。今や、オレは心が折れることが皆無になった。そのきっかけがこのリーマンショックの体験なんだ。そういう意味で、有意義な苦労ができてよかったと思っている。

あなたは今、何かに苦しんでいるかもしれない。辛い思いをしているかもしれない。だが、落ち着いて考えてほしい。その状態はきっと、あなたを大きく成長させてくれるのだと。絶対に今感じているその苦しさの中に、自分の未来を明るく照らす光の種子があるのだと信じてほしいんだ。オレがリーマンショックの体験に感謝が出来るようになったのは、苦しみぬいていた時期から3年くらいあとになってのことだ。だから苦労の価値というのは、すぐにはわからない。だけど、思考を止めてはいけない。あなたが現在進行形で味わっている苦しみからも、きっと価値ある何かがあるはずで、それは数年後に花開く予定の種なのだということだ。そして迷ったら苦労しない道じゃなくて、成長できる道を選んでほしいんだ。希望を捨てず、元気出していこう。少しでもあなたの人生の気付きや成長発展につながると嬉しい。

 

実はこの後も色々とどんでん返しの連続な人生で、就職して起業して笑うしかないヤベえことが色々と起きまくった。気が向いたら続編を作りたい。最後まで見てくれてアザス。ほなまた。

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