オレだ。
今回は英語の話じゃないけど、このブログをいつも読んでくれている読者のあなたへ
「オレ自身の話」を語っていきたいと思う。
言っておくが、今回の話はあなたが聞いて役に立つ保証はない。
読んで何かを得られるかはオレは知らない。
けど、なにかの参考になれば幸いだ。
見出しがフザケているように感じられたらすまん。
大真面目に回答しているつもりなんで、よかったら最後まで見てくれ。
目次
やってよかったこと1位
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▲KADOKAWA主催のゲーム雑誌・タイムアタックコンテストで優勝してゲットした革ジャン
コレは
「ゲームで日本一になったこと」
だと思う。間違いなくコレ。
こんなことは二度とできないから、10代でやっておいて本当によかった。
プロフィールにも書いたけど、オレは16歳の時にバイオハザード2というゲームで、
KADOKAWAのゲームウォーカー(すでに廃版)という雑誌主催の
タイムアタックコンテストで日本一になった。
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この体験はなにげに、今でも活きていて
挑戦する上で鬼のような努力をする根幹と、自信の礎になってくれているんだ。
オレは小学校高学年くらいから、そこそこゲームばかりやっていたオタクだった。
そして中学生になってFF6が発売されてから、オタク→廃人レベルのゲーマーになってしまった。
自宅ではスーパーファミコンとプレステ、セガサターンが常に稼働していたし、
大阪の石橋駅近くにあるゲームセンターでは、毎晩格ゲーをプレーしていた。
起きてから寝るまでの時間はずーっとゲーム漬け。
もちろん学校なんて行っているヒマはない。
中学の3年間の内で、学校の思い出なんてマジでなにもない。
遠足などのイベントも、ことごとく休んでゲームばかりしていた。
高校もほとんど同じ状況だ。
クラスメートの名前や顔は、マジでたったの一人の記憶もない。
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周囲は次々と大学合格していく中、
オレは完全に孤独になった。
家族を除いて、社会から完全に切り離された状態だ。
そんなオレの精神を支えてくれたのは
「ゲームとはいえ、努力して日本一になった」という体験だった。
やり込み具合はハンパではなく、カネもないのにゲーム機を複数台購入して、
プレーの様子はすべて録画。
ゲームをやっていない時にも、夜ビデオの動画を見返しながら
「このルートを通ったら、後3秒くらいはショートカットできるかもしれない」
と検証しまくって、日々改善の努力を積み重ねていった。
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当時、ネット上ではタイムアタッカーの間で、
ゲームの攻略掲示板で意見交換や攻略法の情報交換がされていた。
けど、オレは一切寄り付かなかった。
「人に頼るなんてダセえなw 自分ほどこのゲームをやり込んでいる人はいないのだから、負けるはずがない」
と心のそこから思っていたし、実際にベストプレーを録画して雑誌社に送ったら見事に優勝できた。
雑誌に掲載された時の状況は、今でもハッキリ覚えている。
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雑誌の発売日に近所のファミマに自転車で駆けつけ、
ドキドキしながら本を開いたら自分の名前が載っていた。
それを見た瞬間、足はガクガク震え、手はワナワナと小刻みに動いて止まらなくなった。
そのままレジで雑誌を買った時は、
「もしかしてこいつヤク中じゃね?」
と店員さんに思われたはずだ。
ヤクに手を出せるような肝っ玉は、オレにはないけどなw
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優勝を目指して、ひたすら一人で研究と分析、試行錯誤を繰り返して
望む結果を出せた経験は、今の自分を作っていると思う。
現在は形は変われど、同じようなことをしている。
ビジネス雑誌やネットメディア、テレビ局やラジオ番組に
ビジネス記事や企画を送り、取り上げてもらうという、ジャーナリストの仕事をしている。
オレにとって、この活動は10代の頃に
ゲーム雑誌社へプレー動画を送りつけていたのと同じ感覚がしている。
もう今の立場で、当時のようなゲームのやり込みは二度とできないだろう。
他にやりたいこともたくさんできて、今はそこまでゲームにのめり込む意欲もないし、
そもそも簡単に優勝できる世界じゃなくなった。
ゲーム人口は当時とは比べ物にならないくらい増えて、
人気ゲームになると、競争相手は全世界になってしまったんだ。
そう考えると、多感で反射神経に優れた10代で、
これができたのはものすごくいい経験だったと思う。
まさしく、オレの人生で唯一10代の青春を感じた瞬間だった。
やってよかったこと2位
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コールセンターの派遣をやったことだ。
これはマジで本当に価値があった。
コールセンターに行くまでは、
引越センターのバイトとか、お弁当屋の店員とか、
駅前え英会話スクールのチラシ配りといった
立ち仕事か肉体労働しかやったことがなかった、
なので、デスクワークの体験ははじめてだった。
よく「コールセンター派遣なんて何も得るものはないでしょ?」みたいに言われる。
けど、まったくそんなことはない。
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オレは大阪の梅田にある携帯会社のコールセンターに
10代で入社して5年ほど勤めた。
この経験は今でも役に立っている。
まず、コールセンターの9割は女性だった。
正直、少しはいい思いができると期待したが、
残念ながら何年在籍しても恋愛話はまったくなかったw
けど、オレは若かったので、年上のお姉さま方にかわいがってもらえた。
後は女性ばかりの職場だったので、
共感するコミュ力とか、女性の置かれた立場はかなり学びになった。
学生をしながら働く人、子供を育て終えて働いている人、
正社員を目指して頑張る人、声優をやりながら稼ぐ人、
彼からプロポーズを待っている人など、色んな人に出会えた。
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また、コールセンターの役割は
「お客さんからの疑問に正確にスピーディーに答えるだけの、ロボットでも出来る仕事」
と思われがちだけど、オレのいた職場は実は意外とそうじゃなかった。
お客さんは問い合わせをしてきている時点で、割とブチキレている。
「思うように操作しても携帯が動かない」
「携帯代滞納してて支払いたいけどできない」
「携帯ショップの店員に失礼な対応をされた!」
といった悩みや問題を抱えて、不安やイライラしている人が多かった。
だからオレのいた職場では
「まずはお客さんに共感することが大事だ」
としっかりと教わった。これはオレにとってすごく収穫があった。
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男性中心の会社で求められる振る舞いと、
女性中心とではかなり違う。
10代の多感な時期に、仕事を通じて
女性の求める共感の心理を身を通して学べたのは大きかった。
今は英語多読の講師をしているけど、
外国語に興味があるのは女性が多いからか、
受講生さんはざっくり8-9割以上が女性。
今の仕事もまず、相手の学習上の不安や問題を取り除くことを重視していて、
最初は共感から入り、その後に具体的な解決策を示すように心がけている。
このスタイルでやってきたけど、ありがたいことに、
受講生さんからクレームは来たことがないし、
返金保証制度を設けているけど、
「テメエの講座は不満だから金返せ」と言われたことはない。
お客さんとのコミュニケーションを取る上では、
オレがコールセンター時代に学んだ「共感力」がものすごく役に立っている。
やってよかったこと3位
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若い内にパソコン中毒になったこと。
人生ではじめてPCを買ったのは高校入学の時だった。
当時はゲームにハマっていたけど、PCが来たことでオタク度合いが加速した。
時間が有り余っているので、
「ゲームのプレー動画を録画したい」
「PCで絵を書いてみたい」
「メル友を作ってコミュニケーションをとってみたい」
「部品集めて自分で作ってみたい」
とやりたいことが湯水の如く溢れてきた。
高校時代はネットを通じて詐欺師のオッサンに出会い、
怖い思いをしたのも、今ではいい思い出w
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ゲームにハマりながら、同時にPCにものめり込んでいったんだ。
そのおかげで、メチャメチャPCに詳しくなった。
タッチタイピングを練習して、
今では完全にキーボードを見ずに入力できるようになった。
CPU、メモリ、ストレージ、サーバー、モデム、ビデオカードなどの用語も
しっかりと理解できた。
Windows95からデビューしたオレだが、
今でも部屋の中には、PCを始めとしたガジェットがたくさんあるし、
ITに興味があるのは、10代の時にPCオタクになったのが理由だと思う。
忙しい社会人になってからデビューしていたら、
ITオンチになっていたかもしれないので、本当にいい出会いだった。
後悔したこと1位
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人間関係に苦しみ過ぎたこと。
コールセンターや義務教育時代は
人の顔色を伺いすぎて胃に穴が空きそうになったり、
余計な一言を発したために、暴力事件の被害者になりそうになったりした。
ネットワークビジネス勧誘を受けて断りきれず、
気がついたら自分が勧誘する側になってしまった
(結局、誰一人勧誘に成功しなかったが…)。
その結果、ムダに全国を飛び回って
数少ない旅先で知り合った友達を勧誘して、
相手から絶交され続け、「何やってんだろオレ…」
って絶望するというバカなことをしていた。
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けど、嫌われないようにとハゲる勢いで周囲の顔色を伺いまくって生きていたけど、
今となっては、10代の頃にできた知人は誰一人連絡先を知らない。
そんなもんだ。あれは苦しみ損だった。
だから今の自分が10代に戻ることができるなら、
「友達関係の気遣いは一切不要。気遣いしないと残らないような友達はどうせ消える」
と教えてあげたい。
でもこの経験を通じて大きな教訓も得られた。それは
「人は本音でないと
真の心の交流はありえない」
ということだ。
今は本音で好き勝手語って生きてる。
そのことで誹謗中傷の言葉をもらうこともあるし、
書いた記事が炎上して2chまとめサイトに晒されて、
数千件の批判のコメントが書き込まれていたりしたこともあった。
呪いのFAXとか、手紙ももらったな。
いつか役に立つかもと思って、今でも大事に取ってるよw
送ってくれた人アザス。
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けど、同時に本音に共感してくれる人が残った。
ウソとか建前を言わないから、
一度共感してくれた相手はそう簡単に離れない。
人生で年単位で人付き合いが出来るようになったのは、
ネットで本音で情報発信をするようになってからだな。
「人脈は作るものではなく、結果として残るものである」
ということに気づいたのもこれがきっかけだ。
以上だ。
英語の勉強をする上ではカスほど役に立たない話だったが、
少しでも今回の話が、あなたの心の奥底に火を付けるなにかのきっかけになれば嬉しい。
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