【40代/50代向け】純ジャパのサラリーマンが定年退職後プロ通訳者になった勉強法 定年英語

今回は純ジャパのサラリーマンが定年退職後プロ通訳者になった勉強法についての話をする。参考図書はこちら、田代真一郎(たしろ・しんいちろう)さんが書かれた定年英語という本だ。こちらは「英語が話せない、海外居住経験なしのエンジニアだった私が、定年後に同時通訳者になれた理由」の新刊で先日読んでみた。

これがね、まあ本当に面白いし、むちゃくちゃ学びになる。黒坂がこれまで紹介してきた「英語で人生を切り開いた人たち」、この中には一流大卒とか、医師とか海外の大学院を出たりと「正直、元から相当に優秀だったよね」と感じる人も少なくなかった。「お前、またか。またなのか。また生まれつき優秀な人を見せびらかしてオレ達をバカにしようとしてるのかよ」

違う違う。今回の著者は本当に我々とそこまで大差がないというか、雲の上の天上人ではない。著者の田代さんの経歴をいうと、定年までは自動車会社に勤務する普通のサラリーマン。会社では変速器や駆動系の開発や設計が専門のバリッバリの技術畑のエンジニア。過去に海外に住んだ経験はないし、もちろん帰国子女でもない。初めて仕事で海外に行った時は乗り込んだタクシードライバーに英語で行き先の地名を何度伝えても全く通じないレベル。ご自身では「当時の私の英語力はざっくりTOEIC300点台くらいだった」と言われている。え?なんかむっちゃ普通の人じゃない?

そんな田代さんは60歳で会社を定年退職、再雇用制度は使わずにその後はプロの同時通訳者デビュー。TOEIC満点、英検1級にも合格。すごいよね。 60歳の定年までサラリーマンで技術職一筋だった著者が、定年からプロの通訳者へと人生180度転換。一体どうやったのか?スピルバーグ監督がなかなか映画化してくれないので、僭越ながらこの弱小YouTuberの黒坂がメガホンを取ることにした。

田代さんは非常に謙虚な方で自分はいかに英語ができなかったか?という自虐ネタ多めで「よくここまで上がってきたな」とすごいと思わされる。英語の勉強や英会話をする上で重要なポイントもむちゃくちゃ勉強になるし、「うわ、その発想はなかったな」という話ばかりで自分自身にもすごく学びになった。

あなたはこの動画を見ることで、40代、50代以降の中高年の英語の勉強やり直し組は遅すぎるどころか、むしろ中高年から英語を勉強する強力な優位性があることを理解できるのでぜひ最後まで見てほしい。それからこの動画では全体の10%くらいしか良さを伝えられないし、具体的な英語の勉強法についても参考になるので気になった人はぜひ本書を買って読んでもらいたい。買って損はない一冊だと思う。

まずこの動画の前半の1章では田代さんがいかに英語ができない普通のサラリーマンから、プロの同時通訳者に登りつめたか?という人生を解説する。そして後半の2章で田代さんの英語の勉強法や英会話、仕事で英語を使う上での重要ポイントについて話をしていく。

では始めよう。

 

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>>>定年英語 英語が話せなかったサラリーマンがなぜ定年後に同時通訳者になれたのか 著:田代真一郎さん

 

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1章 定年退職後から同時通訳者になった方法

さて、第1章は田代さんの人生を解説していく。著者は大学を出て普通のサラリーマンをしていた。造船とプラントエンジニアリングの会社に勤務し、仕事内容は蒸気やタービンの設計に携わる技術者だった。なんか細かいことはよくわからないけど、とにかく機械を専門とする技術者だったわけ。もちろん、まったく英語はできない。

さて、著者が最初に英語の必要性に触れることになったのは30歳の頃。仕事で忙しく過ごしているとある日、上司からこう言われた。「おい君! アメリカのGE社と蒸気タービンの仕事で提携することが決まった。君には近い内に技術取得のためにGE社にいってきてくれ」「え?それってアメリカに行くってことですか? 英語入りますよね?」「何をいっとる、当たり前じゃないか。 しっかり勉強してきてくれたまえ」。そのように突然上司から言われた田代さんは「英語なんて勘弁してクレメンス」と心の中でつぶやいたことは間違いない。

GEはゼネラルエレクトリックの略で、あの発明王エジソンが設立したアメリカにある会社だ。仕事にも慣れてベテランエンジニアになった30歳、でもこれまで海外出張とか英語で仕事を進めるなんてこれまでの人生で想像したこともないぞ。これはまずい。どうしよう。

確かに英語は本当に苦手だけど、仕事だしなんとかするしかない!そうやってジタバタする中で、会社の先輩に誘われて入った英会話サークルに週に1回参加することになった。でもね、当然だけど英語に手も足も出ない。英語教師のWhere are you from?という質問がワアフロにしか聞こえず、何を聞かれてるかわからない。

でも周りを見渡したらみんなちゃんとわかってることに驚いた。「ねえちょっと! おい、今の英語はどういう意味?」「ああ、出身地はどこ?って質問だよ」そう返ってくる。手元のテキストを見て愕然とする。おいおい、全然発音違うじゃん。学校で習うようにしっかりとウェア・アー・ユウ・フロムと言ってくれよ。もちろん、今の自分ならわかる。この質問に対してはI’m from Osakaとこういえばいい。でも当時の自分は英語のポンコツで融通がきかず、Where are you from?という質問なら、物理的な場所を答えないとダメなんじゃないか?と考えて、「今日は家から来ました」とか「自分の席からやって来ました」このように正確に回答しないとダメなんじゃないか?今考えると誰が聞いても相当間抜けな回答を真顔でしてしまうくらいの実力だった。はーなるほど、今話を聞きながらニヤニヤしているそこのあなた。ある意味安心したよね、誰もが最初はゼロからスタートするという当たり前の事実を再確認できたはず。

当時の私は英語と外国人をとにかく避けて避けて、避けまくっていた。そりゃそうだ。自分にとっては外国人はまるで宇宙人、言葉が通じない相手は何を考えているか想像もつかない。相手の英語も聞き取れない。自分も英語が一欠片も話せない。これじゃコミニケーション取りようがない。こんな状態でニコニコできる方がどうかしている。

会社の仕事が終わって夕方6時から始まる英会話サークルは、みんな仕事が忙しくてなかなか時間通りに現れない。私は定刻通り、6時に部屋の前に行ってドアを覗く。そしたらドアのガラス越しに、1人で部屋で静かに待つ先生の姿が見えた。 おい自分、チャンスだぞ。元気よくハローと声をかけちゃえよ。入って先生と雑談でもしながらみんなが来るの待えばいいじゃないか。英語の先生を独り占めできるなんてとんでもない贅沢タイムのはず。でもまるで鬼か悪魔と部屋で二人きりになるように恐ろしかった。外国人と2人きり。とても間が持たない。先生はきっと、自分に気を遣ってあれこれ話をふってくれるだろう。でも間違いなく何も会話にならない。そんな気まずい空気を想像するととうてい耐えられるわけもなく、私が部屋に他の社員が来てくれるまで先生に気づかれないよう、部屋の前をコソコソとオリの中のハムスターのように行ったり来たりしていた。

私が英語を避けていた理由は他にもある。それは日本人の前で自分の英語を聞かれるのが嫌だと言うのがあった。三人称単数形のSをつけ忘れるとか、過去形と過去完了形を間違えて同席の日本人から注目を浴びたくない。なんという、自意識過剰。 でもわかるー。みんなそうじゃない?ネイティブに聞かれるのはいいんだよ。でも同じ日本人には聞かれたくないよねー。文法を間違えたり、日本人特有の下手っぴな発音を聞かれたのがとにかく嫌だった。しかし、今の私から考えると本当にくだらないことにこだわっていたと思う。少し冷静に考えてほしい。こんな実力でこれからアメリカの大手企業に行って技術取得をしてこいと言われているのだ。そりゃあもう幽霊かエイリアンと戦うような相当な恐怖である。そりゃあもう、不安で不安で仕方がなかった。ははあ、本当に英語が苦手だったスタートなんだね。

幸か不幸か、ある日、私は会社の先輩から「社内の英会話サークルいってみる?」と誘われた。どうやらメンバーに欠員がでたから入らないかと言うお誘いらしい。実はこの先輩、プラント部門で働くエンジニアで自分と違って、海外との仕事の経験が豊富で、英語も上手。そんな先輩が誘ってくれているわけだし、何か学べるかもしれない。とにかく出張までに1ミリでも成長しないとまずいぞ、そう思って恐る恐るグループに入れてもらうことにした。

英語の先生はニュージーランドの男性、入っていきなりびっくり! なんと授業は優しい英会話ではなく、ガチのディスカッション形式で、この日のテーマは日米貿易摩擦。先生は意地悪にも初参加の自分にお手並み拝見と言わんばかりに「そこの君、貿易摩擦の解決策について意見を出せ」と自分をあてた。いやいやいやいや、そんなの日本語でもできないのに、それを英語でやってみせろとか無理ゲーすぎる。どうしてこうなった。

日米貿易摩擦、それは日本からアメリカに向けて自動車の輸出が過剰に大きく増えたことで政治問題化していた。誰しも社会の教科書やニュースで、アメリカ人がでかいハンマーを持って日本車をフルスイングでどついて壊す映像を見ていた。一応、日米貿易摩擦がどんな問題かは知ってる。だけど、突然それについて英語で意見を出せと言われて文字通り、フリーズしてしまう。何も話さなくてシーンとする張り詰めた空気の中、先生はやれやれと肩をすくめて、代わりに先輩にパスを出した。「それではそこの君、この問題についてどう考える?」と。さあ、先輩はどう答えるか?ドキドキしながら回答を待った。

驚いたことに先輩は特に緊張した様子もなく、普段と変わらず落ち着いた様子で話を始めた。ネイティブと間違えるようなペラペラと流暢に、とまでは言えなかったけど「うまい」というのは超初心者の自分にもわかった。「現地に工場を立ててアメリカ人の雇用を促進すれば良い」とか「アメリカ企業も品質工場にもっと努力をするべきだ」どうやらこうした意見をいっているらしいことは、ほぼ英語力ゼロの自分にもおぼろげながら伝わってきた。

私はその時、まるで生まれつき耳が聞こえない子供が手術後に始めて音を聞いたかのように激しい感動で全身がブルブルと震えた。それは先輩の素晴らしい英語力だけでなく、日本語でも難しい意見をはっきりと主張できたことに全身に鳥肌がたった。そうか、自分の意見を英語で話すのはこんなにもかっこいいことなんだ。自分もこのぐらい英語ができたら絶対に楽しい。相手は外国人、本来なら意思疎通ができないはずの相手なのに、英語がお互いの気持ちを1枚のマフラーを二人で使うように温かく繋いでくれた。それを目の前で見せられたことに感動した。そう、これが著者と英語と30年以上にも及ぶ、長い長いお付き合いの出発点になった。

精一杯、英語の修行をした。そしてとうとうアメリカ出張の日がやってきたのだ。はじめての海外、しかも1人きりだ。今回の目的地はマサチューセッツ州ボストン近郊のGEのリン工場だ。途中、トランジットでシカゴで一度飛行機を乗り換える。これがまた不安。そりゃあ不安だよー。列に並んで待つときには、ほんとにその列で正しいのかわからないんだから。間違って別の飛行機に乗って、モンゴルとかアフリカとかとんでもない場所に着いてしまったらどうしようと真剣に心配していた。ふと顔を上げると、同じ列に並んでいた日本人らしき人がいる。おお!この列であってるか質問してみよう。「あのー、ちょっとすいません」そのように声をかけたら猛烈なスピードの中国語が返ってきて泣きたくなった。

ボストンの空港に到着、まだまだ試練は続く。今度のミッションは空港からホテルまでタクシーでの移動だ。日本に比べてなんか汚いし、おまけに運転席と客席の間には金網が張ってあって、途方もない緊張感が醸し出している。タクシー乗るときに「リビアプリーズ」と言った。運転手はWhat?と言った。どうやら聞き取れていないらしいことはハッキリ伝わった。それからしばらくの間、リビア! What? リビア What?この繰り返し。何度言っても伝わらないから、どんどん声を張り上げて最後は絶叫に近かった。周囲の人が見たら大声でケンカをしているようにしか見えなかっただろう。

リビアの最初の発音は、RであってLではない。でもこの時は焦りに焦っていたので、叫べば叫ぶほどのLの音になっていた。加えて、リビアのアクセントの位置は第二音節の「リビアのビ」にある。しかし著者の発音は「リビアのリ」にアクセントがあった。わずか6文字なのに通じない。これはもう書いて伝えるしかない。全身冷や汗でびっしょりになりながらメモを書いて渡したら、運転手は叫んだ。「Oh, Revere!」やっと通じた。初日からとんでもない苦労からスタート。なんとかアメリカに到着した。

GEの初出社の日マネージャーに挨拶に行った。大丈夫、最初の挨拶は事前に準備をしてきた。「He ordered me to learn GE steam turbine(私は上司の指示でGEタービンの技術を学びに来ました)」よし、いえた!バッチリだ。その挨拶を聞いたマネージャーは上目遣いに私を見ながら何かを確認する意味を込めて、語尾をあげてこういった。オーダー? ちょっと待て、ちょっと待て彼の中で何かが引っかかってる。今ならよく分かるけど、オーダーと言う単語は、絶対的指示、逆らえない命令というニュアンスの言葉だ。軍隊ならおかしくなくても、会社の上司からの指示と意味合いに適切な単語ではない。askとかtellという単語を使えばよかった。英単語は英語と日本語の単純な意味対応で覚えるのではなく、ニュアンスの理解をしてその時々の状況に合わせた使い方をすることが大事だと学んだ。

こんな感じで英語で冷や汗を書くシーンが多かったものの、私は出張中の経験の中で不思議に思うことが1つあった。それは仕事で使う英語で苦労した記憶があまりないと言うことだ。確かに。振り返ってみると、渡米する時の飛行機のトランジットやタクシー移動、ホテルやスーパー、そしてマネージャーとの初対面での挨拶では英語で苦労した。しかしいざ仕事が始まると意外にも失敗した記憶がない。本来は仕事の英語で苦労するはずと思っていたのに。その理由は仕事の英語は事前にしっかりと入念な準備をしていったこと。それから仕事の専門知識があったからだと思う。少々英語が不十分でも、仕事内容の共通理解があれば苦労なくコミュニケーションが取れると言うことをこのとき私は学んだのだ。はー、なるほどね。

私は30歳の時に経験した出張ではじめての英語に親しんだ。しかし、その状況は長くは続かなかった。私は造船エンジニアリング会社から自動車会社に転職。その後はしばらく、英語と深い付き合いをすることはなかった。それでもたまに海外出張が入ると一時的にモチベーションも高まり、しばらくは英語にも勉強が熱が入る。しかし、その熱が覚めると、海の引き潮のように英語熱もサーッと覚める、この繰り返しだったのだ。それでもいつか心のどこかに、「また英語を本格的に使うタイミングがやってくるかもしれない」という漠然とした予感があった。そしてその日はとうとうやってきた。

私は50歳の頃、ある日突然に勤務先の自動車会社が外資の傘下に入ったことで、私は突然にグローバルな関係の放り込まれることになったのだ。うわー、出張の時もいきなりだったけど、今度は外資に取り込まれたからずっと英語を使うことになる。備えは十分と言い切れるレベルではなかったが、はじめての出張をした時の限りなくゼロに近いレベルと比べれば少しは前進をしていたという感覚があった。

そこからは私は本格的に英語との付き合いが始まった。それまでは生粋の日本企業だった我が社に、外国人が歩き回るようになり、ドイツやアメリカの自動車大手、ダイムラー社やクライスラー社との共同プロジェクトが始まり、アメリカやドイツから大勢出張してきたのだ。私の仕事は自動車の共同開発、海外出張やテレビ会議の回数は大幅に増えた生活が外資が撤退するまでの2年間ずっと続いた。そしてこの2年間の経験が定年後にプロ通訳者になることにつながっていったのだ。

仕事で英語を使って気付いたことがある。それは仕事の英語の方が雑談より話しやすいということだ。日常会話はどんな話題が飛び出してくるかまったく想定ができない。しかし、仕事で使う英語は非常に話題が限定的であらかじめ十分な準備をして望めばなんとかなった。そしてこの経験で気づいたことがある。それまでの私は外国人とのコミュニケーションと言う英語力が全てだと思っていたが、それは間違いだった。

外国人とのコミュニケーションは純粋な英語力だけで決まるものではない。英語と専門知識の掛け算である。英語がいくら上手でも中身の知識が乏しければ相手に伝わらない。逆に英語力が十分でなかったとしても、中身の知識があれば質の高いコミニケーションが取れる。そして仕事をするアドバンテージは英語コミニケーション力の重要な知識が既に高いレベルですがっているも、家に仕事に関係があって、知識もある分野であれば、英語ロック自体伸ばすのも実は非常に楽になる。よく知っている事は英語でも話しやすい。

これは英語に限った話ではないが、誰しも自分が詳しい話や担当する仕事については、豊富な知識と経験がある。詳しい知識のある話は論理的に会話ができる。論理的に話せると言うのは、知識がない人が聞いてもわかりやすいし、説得力があり、伝えることができるということ。たとえば「西の方から雨雲が近づいています」、これを英語に訳してみよう。答えは、The rain crowds are approching from the west.でも別に一言一句、原文のまま翻訳する必要はない。知識がある人はもっと簡単に言い換えることができる。たとえばIt’s going to rain.これでいい。コミュニケーションは伝わりやすい方がいい。西の方から雨雲が近づいていることと、もうすぐ雨が降るは同じ意味だ。これは雨雲の接近=雨が近いという知識があればより伝わりやすい表現に言い換えができるということ。これは仕事の知識でもまったく同じことが言える。

コミュニケーションの達人はたくさん知っている知識をそのまま引き出せる人ではなく、相手の知識レベルにあわせて伝わりやすい表現をたくさんの引き出しから選ぶ力がある人じゃないか。豊富な仕事の知識が助けになることを考えると、英語を始めることに本当に遅すぎる事はない。むしろ知識や経験が十分に身に付いてからが英語学習適齢期と言っても過言ではない、著者はとても勇気づけられる言葉をくれるよね。英語をとにかくペラペラ話したい、どんな話題でも何でも話せるようになると意気込むのではなく、自分が伝えたいこと、伝える必要があることだけを英語で話せるようにする。もうこれを繰り返すだけで英語で仕事ができるようになってしまう。

外資系が去っていき、結局、英語を仕事で使う経験は一時的に終わった。しかし、この体験をきっかけに私はますます、仕事で英語を使えるようになりたいという思いは強くなった。定年が見えてきたタイミングで、たまたま近所の友人との会話の中で世の中に通訳学校があることを知った。英語の学校と言えば英会話スクールしか知らなかった。しかし、通訳学校は初耳だった。英語は好きで興味があるし、サンプルレッスンを受けられるなら一度いってみようか。興味本位で体験した結果、通訳学校は非常に好印象だった。当時、世の中の風潮として「英語はネイティブに習わないと上達しない」という風潮があった。講師は全員外国人と言うの売りにしている学校も多かった。しかし、通訳学校はそうしたトレンドと違った。英語で仕事がしたい。英語力を伸ばして仕事の役に立てばという動機で、将来通訳者になると言う事は何も考えてなかった。でも漠然とここにいけばなにかのきっかけになるかもしれないと惑星の引力に引かれるように私は学校へと吸い寄せられた。そこで週末、通ってみることを決意した。この時の私は55歳、試験を受けて基礎1と言うクラスに決まった。

私は仕事を続けながら通訳学校へ通う生活を続け、60歳を迎えた。再雇用制度を利用して会社に残る道もあった。しかし、会社に残ったとしても、所詮65歳までしか残れない。それなら何かこれまでとは違ったことがしてみたいと感じていて定年退職を選んだ。そして2010年10月、愛知県で生物多様性会議、Conference of the Parties10、通称コップテンが開催された。通訳学校でお世話になっていた先生から、「このイベントでは多くの通訳者が必要になる。一度やってみませんか?」とお誘いを頂いた。イベント開催時には私はすでに退職していて時間の余裕がある。これまで通訳学校で勉強してきたことがどの程度役に立つのか?自分にどのことできるか?とにかく試してみたい気持ちが強かった。そこで喜んで引き受けてみることにした。仕事は受付や海外メディア対応といった初級レベルの通訳業務。しかし、私にとっては通訳で報酬を頂くはじめての仕事。これが60歳還暦での通訳者デビューだった。かなり緊張していたとが、なんとか最後まで1ヵ月間の仕事を完了できた。自分は定年を迎えるまで、通訳ができると思わなかった。国際会議が終わった翌日の勤務、最終日、がらんとした国際会議場の中を見て歩いた誰もいない通訳の文章を覗いてみた。通訳者の席からは広い会議場が見渡せる。机の上にはマイクやヘッドホン、同時通訳の機材が置かれていた。いつか私にもこんなブースに入って、同時通訳をする日が訪れるのかな?夢にも、憧れともつかむ感覚を持って、必死にシャッターを切ったこと覚えてる。ちなみに本書にはその時の写真が掲載されています。

コップ10のイベントを終えた私はフリーランス通訳者になった。通訳エージェントに登録をする上で困ったことが起きた。エージェントに登録には履歴書と経歴書、それに通訳実績を送る必要がある。しかし、私は定年までは普通のサラリーマン、通訳実績などあるはずもない。仕方がないので、会社での英語使用経験を書いた。下手な鉄砲数打ち当たるの精神で、書類を30社ほどエージェントに送った。ところが、この私の淡い期待を裏切って、ポツポツ仕事が入ってきた。ありがたいことに1年、2年、3年でバイバイゲームで仕事が増えていた。憧れていた同時通訳の仕事はデビューして1年目でゲットした。だが、時々私には不思議な感覚に襲われることがある。なぜ、通訳の経験が浅い、還暦を過ぎた私にこんなにも仕事をいただけるのか?と。自分なりに理由を考えた。その1つは専門があると言うことだった。技術系、特に自動車関係の機械には強い。なぜこのような答えにたどり着いたのか?それはある通訳をした時の担当から言われた言葉だった。「他の方が首をかしげる通訳も、田代さんが通訳するとみんなしきりにうなずいてくださいます」と褒められたのだ。そう、その時の話題こそ自動車だった。私は定年まで35年以上のキャリアを持つ自動車会社のエンジニアだった。その一方で通訳のキャリアはまだ5年ほどだ。自動車技術の分野なら、単語を聞けば、大抵の事は想像がつく。内容がしっかりわかってる状態の通訳は分かりやすくなる。通訳者として私より英語がうまい人はいくらでもいる。帰国子女もいるし、ネイティブスピーカーの通訳者に純粋な語学力では勝てない。しかし、英語ができる人が必ずしも優れた通訳者かと言うとそうとは言いきれない。コミニケーションの本質は中身だからだ。

以上が著者のヒストリーだ。いやあ、すごい人生だな。

 

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2章 定年英語で成功する6つのポイント

さて、2章では定年英語で成功するための6つのポイントについて具体的に取り上げていこう。

 

1.ペラペラ英会話は語学力だけでは決まらない

定年英語で成功するポイントの1つ目は、ペラペラ英会話は語学力だけでは決まらない。

人それぞれ、英語を学ぶ動機は違うけど、日本人が英語を学ぶ理由のほとんどは英語そのものを身につけたいからではなく、コミュニケーションをしたいからだ。でもコミュニケーションを取るには純粋な語学力では通じない。まず伝えたいことありき、つまり話したい中身がしっかりあることが重要。

この話が分かるエピソードを紹介しよう。田代さんが通訳の仕事に行った時、休憩時間にソファーに腰掛けて本を読んでいた。すると隣でクライアントの外国人としか話し始めた。2人ともアメリカ人で最初は聞き耳を立てていていたが、全然聞き取れない。会話のスピードが早いし、わからない言葉がたくさん出てくる。「プロの通訳者とのくせにわからないこともあるの?」と思われるかもしれないが、ネイティブ同士内輪話となるとそんなもの。諦めて読書に戻った。しかし、突然に彼らの会話が意味を持って頭の中に入ってくるようになった。話のすべてが正確に理解できる。そうなると彼らの話が気になって本に集中できなくなってしまった。突然のこの変化、一体何が起こったのか?

実は彼らの話題は急に日本のことになった。それも著者の住む大阪の話に。どうやら二人の内、一人が日本に住んだ経験があるらしく、相手に大阪の街についての説明を始めた。地下鉄、御堂筋線、淀屋橋駅、阪急、百貨店、ヨドバシカメラ、こうした聞き覚えのある固有名詞が次から次へと会話に出てくる。彼らの話を聞くと、実際のヨドバシカメラや地下鉄の駅が映像として鮮やかに情景が思い浮かぶ。場所の知識があり、実際に行ったことがあるから、話している内容もよくわかる。今なら会話にも入ることができると感じる。これは驚きだよね?だって、彼らの英会話はスピードも早いまま、さっきまでと同じ人が英語で話してる。変わったのは話題だけ。それだけで極端に言えば、英語の理解度が0%から100%に変わった。英語がわかる、わからないという差は知識の差で説明できるんだ。

 

2.最重要の英語スキルは「語彙力」

定年英語で成功するポイントの2つ目は、最重要の英語スキルは「語彙力」。

田代さんは本書で英語の勉強についてたくさんの技術的なお話をされているけど、英語スキルの中で最重要なスキルが「語彙力」だといっている。仮に文法が多少不完全でも、単語がすべてわかれば通じあえる。特に仕事では専門用語がほとんどになるので、極端な話単語だけでも最低限の意思疎通はできてしまう。逆に単語がわからなければ、文法が完璧でも発音が上手でも手も足も出ない。

英会話や英文読解の途中に知らない単語が混じると、その時点で完全に思考が停止してしまう。どういう意味だろう?と足がピタリと止まってしまう。そうならないために単語力の強化は非常に重要になる。

そして単語の学習は時間効率に非常に良いと言いとおっしゃっている。文法やリスニングを身に付けるよりも、はるかに簡単、確実、再現性がある。誰がやっても繰り返しインプットすれば確実に頭に残る。それでいて、語彙力アップが英語力に果たす効果は絶大に大きい。そして単語の暗記は、力をつけて上級者になるほど効率が良くなる。接頭辞とか、規則性、法則性があることに気づけば初心者の頃より暗記が簡単になる。漢字の部首がサンズイだと水を表し、火偏だと炎を表すと理解できるように、初見の単語でも意味を推測できるようになる。

そして田代さんは我々学習者に力強いアドバイスをしてくれる。英単語は覚えてもすぐ忘れてしまうのは当たり前だからさっさと割り切れ、という話だ。せっかく覚えたのに忘れたとがっかりする事は無い。なぜなら忘れたと思っても完全に真っ白になったわけじゃないから。特に中高年からの英語やり直しは忘れるのも早い。田代さんも英単語の定着には時間がかかったし、反復回数も必要だと認めている。還暦を過ぎて本格的に英語を頑張ったけど、ちゃんと単語も覚えて暗記も定着した。だからこそ、根気よく諦めずに頑張ろうと言われている。60歳以下の方、年齢を余計にするのはもうやめましょう。

 

3.中高年が英語を学ぶ優位性

定年英語で成功するポイントの3つ目は、中高年が英語を学ぶ優位性がある。

子供や学生が英語を勉強する上での最大の困難は「仕事をモチベーションにできない」ということ。でも、40代、50代の英語学習者は仕事で英語を使うということをモチベーションにできるのがすごくいいと著者は言われている。

その最大の理由は仕事は簡単にモチベーションが維持できる。英語学習の生命線は継続、正しい努力を続ければ誰でも必ず英語は上手くなる。誰しも頭ではよくわかってるけど、なかなかこれが簡単ではないと嘆く人は多い。

でも仕事であれば、モチベーションの維持は簡単。田代さんも最初の頃、英語学習は行き当たりばったりだった。海外出張の時だけは頑張ったし、英語に苦労して帰国すると一気にモチベーション上がって英語勉強しようと思うけれども、その仕事が終わったらいきなり熱が覚める、の繰り返しだった。でも外資に入って毎日英語漬けになってからは英語へのモチベーション上がりっぱなしだったという。なんせ仕事で必要なのでやらないと困るからやるしかない。

でもこの話を聞いて「仕事がモチベーションなのはわかるけど、今すぐできる環境にないんだよね」という人もいると思う。その場合どうすればいいのか?著者によると英語との縁が完全に切れてしまわないよう細く続けろという。たとえば英語同好会や、大学市民講義への参加がいいよという。参加してみたらみんな熱意があって、個性的で豊かな人が多い。自分に合った同好会が見つかれば刺激をもらいながら楽しく学べるからやる気の維持には役に立つという。だけど、こういったものに参加しても自然に伸びるわけではない。あくまで英語との縁が完全に切れてしまわないためのきっかけに過ぎない。本当の実力をつけるためには、自分が日々の学習で培うしかない。

 

4.英会話はとっさの言い換え力が重要

定年英語で成功するポイントの4つ目は、英会話はとっさの言い換え力が重要。

プロの通訳者と聞くと、途方もない語彙力の力によってありとあらゆる表現ができると思われがち。だけど、実際はそうではなく言い換え上手なのだという。

例えば船の先端を意味する「舳先(へさき)」という言葉を英語でいうと、bowボウという。英語学習初心者ほど、「舳先って単語は英語でなんという?」と考えて思考が固まる。もちろん、直接この単語を知ってる方が望ましいことは言うまでもない。だけど、たとえ単語を知らなかったとしても、船の先端を別の言葉に言い換えればいい。head of a shipとかfront part of a boatみたいな言い方もできる。ドンピシャでその単語を完全に覚えなくても、別の言い方に言い換えればいい。そのためには辞書に掲載されている英単語を機械的に暗記するやり方ではなく、実際のその単語が使われている英語長文をリーディングしたり、前後の文脈がある英会話の中で学ぶと「この単語のコアイメージはこういう感じなんだ。じゃあ別のこういう言い方ができる」という判断も可能になる。

 

5.真剣勝負の英語をやれ

定年英語で成功するポイントの5つ目は、真剣勝負の英語をやれ。

著者のヒストリーを聞いてわかったと思うけど、仕事の英語は常にリアルだし真剣勝負。たとえば、英会話学校でビジネスシーンを想定する会話を練習しても、そこで使う教材やロールプレイは本人には全然リアリティーがない。「ふーん、こんな表現本当に使うのかな」みたいな漠然とした感覚だと、なかなか深く入ってこない。

その一方で真剣勝負の場である仕事で使う英語は全部が自分事として入ってくる。「なるほど、そういえばいいのか!次回使ってみよう」と他の人の発言もすべてが教材になる。これは英語学校でやりがちな一生使わなそうなロールプレイとは全く質が違う。真剣さも違うし、責任もあって緊張感を伴う仕事の英語は最高の英会話の上達になる。「今回、自分の英語はよく通じた」とか、「あそこを間違えた。次回はあのデータを準備してしっかり説明しよう」といった具合に試行錯誤の繰り返しなる。1回1回の真剣勝負を大事に積み上げると、とてつもないレベルアップになる。

 

6.中高年からの英語は度胸と行動力

定年英語で成功するポイントの6つ目は、英語は度胸と行動力。

これは著者が言っている話じゃなくて、黒坂が勝手に解釈した内容なんだけど英語は才能や若さ、純粋な語学力の高さなんかより度胸と行動力が最重要ということ。一般論で考えると、英語は早く身につける方が有利という話は多い。それ自体は間違いじゃないし、自分自身も20代の内に英語力を身に着けたことで就職、転職に役立ったし今こうして動画で英語の勉強を話せていると思う。だけど、じゃあ40代、50代、60代になったらもうチャンスはないのか?というとそんなことはないと思う。

著者の田代さんは本格的に英語に触れた年齢は30歳くらい。この時はTOEIC300点くらいの英語力だったし、英会話は全くできなかった。本格的に英語の必要性が生まれて取り組んだのは50代になって外資の黒船がやってきた時だった。プロの通訳者になったのは定年後の60歳から。世間的にみれば結構遅い部類だと思う。でも田代さんが定年後にプロの通訳者になれたのは語学力やこれまでの経験ももちろん買われたけど、それ以上に度胸と行動力があったからだと思う。

ほとんどの人は準備にあまりにも時間をかけすぎてしまう。まだ足りない。まだ十分じゃない。そうやっていつまでも準備ばかりし続けて、とうとう一度も本番を迎えることなく練習と準備で終わってしまったことはないだろうか?でも田代さんは愛知県のイベントに参加したり、翻訳者のエージェント登録をして本番の舞台に立つ度胸と行動力が求められることをしている。黒坂も万全な準備でなくても、いきなり本番に上がることで走りながら鍛えるということをしてきた。このYouTubeだってそうだし、就職、転職でも「足りない点は数多くあるけど、がむしゃらにやれがなんとかなるはず」という度胸で勝負してきた。

多少足りなくてもまず舞台本番に立つ。そうすれば、自分ではまだまだ足りないと思っていても、世間から見れば様子見で走らせてみようかという判断になるかもしれない。

 

今回は以上だ。著者のエピソードは、純日本人の中高年から英語をやり直すために必要なことがすべて詰まっていたと思う。自分は非常にこの本が素敵だなと思ったのは、等身大で失敗談も赤裸々に話してくれること。世の中の多くの発信者は、自分をよく見せたい、すごい人と思われたいという気持ちが強すぎて、読者や視聴者がどう思うかよりも自分をよく見せたい気持ちや、英語教育サービスの売上を最大化したいからウソとデマカセと誇張だらけの話ばかり。結局、そうした話は悪いところを隠していいところばかり見せるから視聴者の自信をへし折り、自分が知らない裏技や近道があると錯覚させてしまうから害悪でしかない。でも田代さんは違う。数々の経験や学びを惜しげもなく共有してくれて、その中から我々にたくさんの教訓を与えてくれる。その最大の価値はなんといっても、英語に遅すぎることはないという教えだと思う。「もう遅くない?」と世間で言われてる意見を無視して、純粋に英語が好きだ、好きなんだという自分の心の声に素直に従って努力を続けて定年後から見事に第二の人生を輝かせている。いつも言っていることだけどもう一度いう、英語に遅すぎることはない。今日も、そして明日も毎日英語を頑張って夢を叶えよう。ほなまた。

 

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