今回は高齢者シニアは投資ではなく消費としての勉強をしようというテーマで解説していく。この動画では野口悠紀雄先生が書かれた83歳、いま何より勉強が楽しいを取り上げていく。自分はこれまで野口悠紀雄先生の本は数多く紹介してきた。今回の本は通算約200冊ほど出版されたどの本にも書かれていない内容ばかりで大変興味深く、現在英語の勉強を頑張っている学習者にも非常に役に立つ内容に感じた。このチャンネルの視聴者は中高年がほとんどなので、勉強をしたいけど年齢的な衰えが不安を抱えて頑張っている人も多いと思う。「今さら勉強をしてももう遅い」とか「年を取ると頭が衰えて勉強できない」という不安、気持ちはわからなくもない。せっかくやって成果が出ないと考えると背筋がゾッとする。でも大丈夫、安心してほしい。こうした不安はすべてノストラダムスの大予言レベルの幻想だと証明する。それを理解できれば、あなたは今すぐ猛烈に勉強がしたくなるバーサーカー状態になれるので英語の勉強をしたい学習者は絶対最後まで見てくれ。
この動画の内容を一言でいうと、高齢者シニアが最も頑張るべきは勉強だと分かる。まだ高齢者になっていない中年の黒坂から言われてもイマイチしっくり来ないかもしれないけど、現在、83歳の野口悠紀雄先生が高齢者シニアの立場で、1日中勉強をして知識技術を世の中に本という媒体でバンバン出し続けている立場からいっているので説得力が鬼すぎる。アンパンマンからアンパンの作り方を教わるレベル。そして正直いって、今回のような本は非常に貴重だと思う。なぜって英語学習も若者で成功した事例や効率的な学習法を説いている人はたくさんいるけど、83歳の年齢で毎日勉強を続けてそれを本で発信されている人はいないから。そんな人近くにいる?いないよな?黒坂もまだ高齢者の立場は経験していないので、非常に学びが多かった。野口悠紀雄先生のように老後に夢中になって勉強を楽しむことは自分が目指す将来の夢そのもの。あなたもその夢にあやかることは絶対にできる。さあ、今回の動画は次のテーマでお届けしていく。
1章 多くの人の想像とは違う老後のリアル
2章 老後の高齢者シニアは消費としての勉強を楽しもう
3章「年を取ると勉強できなくなる」は間違いだと証明する
4章 高齢者シニアの勉強法
5章 高齢者シニアがやるべき人生最後の大仕事
ではいく。
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目次
1章 多くの人の想像とは違う老後のリアル
さて、第1章はじめていこう。まずはまだ高齢者になっていない若い世代や中年世代が「将来、自分はこうなるだろう」と想像する老後は、実際のリアルと全然違うということを伝えたい。誰しも小学生時代、サッカー選手とかウルトラマンになりたいと夢見てたと思う。実際どう?うん、なれていないんだよね。それと同じ。ちなみに自分も小学生の頃に書いた将来の夢はケーキ好きだからケーキ屋さんになりたいだったけど、今はケーキ屋さんになってない。なぜかフルーツ屋さんにはなったけど。話戻すけど、老後は今からどれだけ想像してもそうはならないってこと。じゃあどんな感じか?それを解説していく。
ほとんどの人にとっての定年退職したシニアとか、老後というのは「余生」という漠然としたイメージを持ってる。60歳、65歳で仕事をやめた後の人生はわずかしか残っていないという印象がある。確かに確かに。定年後はもうあまり時間が残ってないと思ってたよね?でも、全然違う。時代は変わった。今は人生100年時代、厚生労働省の令和3年簡易生命表によると、男性の平均寿命は81.7歳、女性の平均寿命は87.5歳、時代とともに寿命は伸び続けている。冷静に考えたら平均が80歳以上ってやばすぎる。だって人生の道半ばで病気や事故、災害でこの世を去った人も含めてこの数字だからな。ということは、途中で何もなければ多くの人はもっともっと長く生きるってこと。我々は人生100年生きる想定で人生設計をする必要がありそうだよな?そして人生100年時代ということは、20歳から60歳で仕事を引退するまで40年間、そして60歳から100歳までも40年間。おいおい、冗談だろ?誰かー!電卓持ってきてー!60-20=40、100‐60=40、うわあまじかよ同じじゃねえか。計算間違いじゃなかった。仕事を引退するまでと後の期間は同じ40年。余生、というとわずかな人生の消化試合みたいなイメージがあったけど、実はとんでもない勘違い。実際には定年退職をしたシニアは人生の折り返し地点、というか人生第2ラウンドの開始でした。うそだろマジかよ。ところがどっこい夢じゃありません、これ現実なのよね。
そして伸びたのは平気寿命だけでない。健康寿命も大幅に伸びた。健康寿命とは、「寝たきりにならず、日常生活が制限されることなく健康に生きられる期間」のことで実質的な活動可能期間のこと。ウルトラマンが地球上で活動できるのが3分間ってのと同じ。ものすごくシンプルにいうと、ただ寿命が長くなっただけでなく、若い時期が伸びたんだ。それが分かる話がある。1969年にアニメ放送が始まったサザエさんの波平って何歳か知ってる?聞いて、びっくりするよ。なんと54歳。ええ?うそうそ?老けすぎじゃない?彼の趣味は囲碁・盆栽・釣り・俳句・骨董品の収集であの見た目だと、令和キッズにとっては波平がどう考えても70代くらいにしか見えない。昔の人が超絶老けて見えるのは、見た目だけでなく実際寿命も短かったし、それは若い時間も短かったということなんだ。サザエさんの時代の定年は55歳、平均寿命は60代だったので、実際に定年後の時間は10年もない。退職後はまさに余生だった。でも今のシニアは60歳でも見た目も気持ちも脳の働きや機能性もとにかく若い人が多い。下手すると、40代くらいにしか見えない若々しい化け物みたいな人もいる。それなのに日常の過ごし方だけは昔と同じで、ひたすら枯れていく切り干し大根みたいな生活を送ると気持ちや意欲もドンドン老け込んでしまう。つまり本当はまだまだ十分若いのに、引退した途端に老人生活を始めると使い古したスマホのバッテリーみたいに急速に消耗していって、気持ちや感覚が年を取るので実態もそれに追いついて老け込んでしまう。多くの人は定年退職後、十分な年金で生活できる経済的恵まれた人が幸せだと思い込んでるけどそれは違う。本書によると、定年退職後に奥さんから「家にずっといるのではなく、週3日は外出して」と言われて、1日中電車に乗って時間をつぶすという人もいる。家に自分の居場所がなく、夢中になってやりたいこともないのはきっと辛い。多少お金があってもそんな状態は幸福とは言えないよな?
多くの人は老後というキーワードに、大変ネガティブなイメージを持っていて、絶望的にすら考えている人もいる。体力は衰えて病気が心配になり、頭は使い物にならなくなって家庭内では粗大ごみのようにじゃま者扱い。朝起きてもやることが何もなく、社会とのつながりを失ってイライラや不安を抱えても誰にも話せないから、お店の店員さんに怒りをぶちまける感情失禁を繰り返す迷惑なダメ人間という印象を持ってる。確かに何もしなければかなり高い確率で大体このルートをたどる。実際、黒坂の知っている人で仕事をやめて、一気に老け込んだ人を何人も見てきた。「長い間、仕事を頑張ってきたから何もせずにのんびり過ごしたい」。そういって1日中テレビの番人になった。動かないからドンドン太って、太るから足腰を痛めつけてますます動かなくなるから病気になるという地獄のループ。本人は人生の時の経過が止まっているので、口を開けばずっと同じ話の繰り返しと昔話ばかり。普段、誰にも話を聞いてもらえないから、久しぶりに会った人にはひたすら自分が一方的に話し続けるからますます周囲から人が離れて孤独を深める。
でも、大丈夫。老後、この状態を回避する方法がたった一つだけある。おいマジかよ早く聞かせてくれ。おまたせしました。答えを発表しよう。それが勉強。え?ちょっとまってよく聞こえなかった。脳トレゲームとか、パズルを解くとか、なんたらサプリとか飲むではない。定年退職後のシニア、老後にもっともやるべきことは勉強だ。えー?嘘だろ?勉強で解決できるの?ああ、できる。ていうかそれしか方法はない。人間は若返ることは物理的にできない。タイムマシンがない以上、勉強がこの悲劇的ルートを拒否する唯一にして最後の手段だ。次の2章ではなぜシニアが勉強すればこの状態を回避できるかを解説していこう。
2章 老後の高齢者シニアは消費としての勉強を楽しもう
さて、2章では老後の高齢者シニアは消費としての勉強を楽しもうという話をしたい。
まず知っておいてもらいたいこと、それは勉強には2種類あるってことなんだ。投資としての勉強と消費としての勉強なんだ。高齢者になる前の段階は、勉強=自己投資という考え方が普通なんだ。学生時代は学力を高めれば、一流大学に入って一流企業に就職できる。経営者でもフリーランスでも勉強をしてビジネススキルを身につければ、それだけ収入を増やすことができる。人間関係に悩んでいる人は心理学を学べばコミュ力を鍛えられるし、料理を学べば健康食で自炊するスキルを身につけられる。もちろん、英語も自己投資で大学受験が有利になったり、就職や転職も有利になる。翻訳や通訳のスキルを身に着けて、サラリーマンではなくフリーランスで自宅で働く人もいる。今いったことすべてが見返りを求めての勉強、つまり投資としての勉強なんだ。
でも先ほどいったとおり、勉強にはもう1つある。それが消費としての勉強なんだ。消費は投資と違ってリターンは望まない。活動そのものを楽しむということをいってる。英語でいえば、シンプルに外国人と対等に英会話を楽しむとか、海外の映画やドラマを字幕に頼らず英語そのまま楽しむということなんだ。いや、厳密に言えば「楽しい」という最高のリターンを得ているという見方もできるはず。「いやいや黒坂さん、そんな、実利的なリターンがないなら勉強なんて時間がもったないないからしたくはないよ」と感じた人は多いと思う。気持ちはわかる。でもそんなことはない。人間は誰しも本能レベルで学ぶことを楽しいと感じる回路を持っている。その根拠は次の章で改めて解説しよう。経済的な見返りを求めず、消費としての勉強はしてもいいしシニアはむしろそうするべき。この感覚がシニアを救うことになるんだ。
仕事を引退したシニアの勉強は学生や社会人とは違う。投資としての勉強ではなく消費としての勉強をしよう。消費としての勉強で大事なのは「今さら勉強?」という多くの人が持っている先入観を捨てて、「今こそ勉強」という感覚を持つことなんだ。1章では定年退職後の人生は余生と言うにはあまりにも長く、何もしなければ一気に老け込んでしまうといった。確かに人生後半戦を間違った戦い方をして不幸な時間の過ごし方をする人は多い。でも著者はこういう。定年退職後のシニア時期を勉強して過ごせば、長い人生の中で最も実り多いゴールデンタイムにすることができると。仕事や育児から開放されて純粋に消費として勉強を楽しめることに集中できるのは、人生の黄金時代。人間は年齢に関係なく、ひたすら暇な時間が多いと悪いことばかり考える。冷静に考えれば心配する必要がないことをひたすら心配する。心配するから心が暗くなる。でも勉強が面白く、それに熱中すると余計なことを考える時間がなくなる。限らえた残り時間を貴重に感じるようになる。
老後に勉強をして楽しく過ごす、という話は実は寿命が伸びた令和ではなく、ずっと昔からあった。江戸時代は算額といって、数学の難問を競い合って成果を額に入れて神社に奉納するという話がある。特に数学に精を出したのは武士ではなく商人だったという。商売繁盛させて息子に任せて引退した後は、1日中数学の問題に取り組む。「息子よ、お店の経営は任せたぞ。父さんは数学で忙しい」こんなイメージ。なんか理想的じゃない?そして数学を趣味にしたのは、江戸時代の日本人に限らない。トルストイの小説、戦争と平和に登場するニコライ・ボルコンスキー公爵は、モスクワから離れた山にこもって高等数学の勉強に没頭した。トルストイは晩年70代になってもイタリア語を勉強した。松尾芭蕉は水道技師として働いていたが、その後は俳句という自分がやりたいことに集中する時間を見出した。
黒坂はいつも英語の勉強に遅すぎることはないと伝えてきた。何歳からでも外国語の勉強をして身につけることができる。サラリーマンだと定年後は活用できないけど、身につけた英語を教える立場になれば講師業は続けられる。消費としての勉強でいいなら、その活用の幅は無限大に広がる。自分が主張したいことを英語で記事や動画で発信すればいい。アクセスが集まれば広告料が入ってきたり、朝起きたら応援のメッセージがたくさん来ている。もはや無料のキャバクラ状態、ありがとう!という感謝の言葉の雨あられで自己肯定感もマッハでブチ上がること間違いない。まあ、自分はキャバクラを人生で一度もいったことないからよくしらんけど。後は日本語になっていない洋書を英語原文で読んだり、海外の映画やドラマ、YouTube動画を楽しむという方法もある。
著者も83歳にして消費として外国語学習を楽しんでいる。しばらく前までロシア語の勉強していた。イタリア語はオペラのセリフが少しずつわかってくる。ドイツ語やフランス語の勉強で実用的に役に立ったことはほぼないけど、楽しかったので勉強した価値があるといっている。ビジネス文書とか小説は翻訳したもので事足りるけど、一番価値が高いのは外国語原文で詩を理解できることだという。詩の真の意味は翻訳ではまったく伝わらない。だから必ず原文で読む必要がある。それができるだけでも外国語の勉強をする価値はあるといっている。
3章「年を取ると勉強できなくなる」は間違いだと証明する
3章では「年を取ると勉強できなくなる」は間違いだと証明する話をしていく。多くの人は年を取ると脳が老化するから勉強ができなくなると考えている。著者はシニアになっても知的能力は低下しないといってる。確かに83歳になって物忘れはあるという。けど、物忘れをするからといって勉強ができなくなるというわけではない。それにテクノロジーを活用すれば、年齢はハンディにならない。むしろ、一昔前の若者より令和のシニアの方が遥かに有利な立場にある。重要なのは勉強をしてテクノロジーを上手に活用すること。この活用法については4章で解説する。
さて、今から20年前、大人になった脳は完全に成長が止まると考えられていた。勉強はできても、それ以降の脳は発達することが起こらないと考えられていた。おそらくこの動画の視聴者の中にも今いった感覚を持っている人も少なくないと思う。だけどその後、脳機能のイメージング技術が進化し、脳の働きを示す鮮明な画像を取る技術が発達したら今いったことは間違いだと明らかになった。特に重要な発見は、大人になった人が勉強すれば脳の細胞構造が変わっていくこと。つまり脳に新しい情報を入れるのは、一生涯において変化し続ける。脳の能力は使えば使うほどずっと向上し続ける。よく「年を取ると脳細胞が死滅するので馬鹿になる」という話がある。この話はシナプスの数のことをいっていて、シナプスの数だけ言えば3歳の時が一番高くなってその後は減り続けるのは間違いない。でもそれは必要なくなったシナプスを減らしていくシェイプアップをしているだけで、脳の能力は使い続ければ間違いなく向上し続ける。今の話は過去動画、【一生頭がよくなり続ける すごい脳の使い方】40代・50代向けの英語脳の取扱説明書でもより深堀りして解説してる。
多くのシニアが勉強を敬遠しているのは、脳が老化してしまうことではなく勉強は辛いもの、嫌いなものと誤解していることにある。ここからは勉強を嫌う理由をいくつか取り上げるけど、同時に誤解を解いて早速勉強していってもらうことにつなげてもらいたい。
勉強を嫌う1つ目の理由は受験勉強。受験勉強は人生を大きく左右する重要イベントで、常に不安と自己否定というネガティブな記憶に強く結びついている。学生時代、勉強で苦労した人ほど勉強に恐怖を感じてやろうとしない。でもすでに話した通り、シニアにとっての勉強は学ぶことそのものを楽しむ消費としての学びなので、勉強が辛いという誤解で勉強を敬遠するのはもったいない。勉強を嫌う2つ目の理由は学校の教師にある。ほとんどの人は親や教師から勉強を強制される。教師の最大の役割は勉強の楽しさ、面白さを伝えることにある。著者は長い期間、大学で教鞭を執っていたがそれは知識を学生に授けたいからではなく、自分が教えている内容はこんなに楽しくて素晴らしいのだと学生に伝えたいからだという。話を聞いた学生が驚いたり素晴らしいと感銘を受ける姿を見たいからだと。著者が1番期待する反応は「こんなに楽しいこととは知らなかった。目から鱗が落ちた。驚いた」と言うもの。今のエピソードにはグッと来るね。自分も野口先生から勉強を教わりたかった。勉強を嫌う3つ目の理由はシニアにとって昔は勉強の制約があったから。昔の日本社会では親や教師から勉強されることはなく、むしろするなと言われることが多かった。「女の子に勉強はいらない。大学進学は不要」といった考えが一般的。今こんなことを声高にいえば360度から怖い人がすっ飛んでくる。勉強したくても経済的に許されない人も多かった。今のように奨学金制度が整っているわけでもなかった。勉強は贅沢で高嶺の花だった。ところが、日本社会は1970年代に大きく変化して、経済的に豊かになり誰でもできるようになった。シニア世代は大学に行きたくても行けなかった事情を抱えている人も多く、昔足首に付けられた重い2つの鉄球がまだ自分についたままだと誤解している人がいる。勉強はしたくてもいけないことだと。でも気づいて。すでにあなたの足首の鉄球はもうない。今なら何の制約も無く好きなだけ好きなことを勉強できる。
4章 高齢者シニアの勉強法
さて4章に入ろう。高齢者シニアの勉強法について解説する。
高齢者になると体力が衰えたり、心理的な不安が強まることで「今から勉強できるのだろうか?」と不安に襲われる。著者は83歳なので、60代と70代で大きな手術を経験し、腰痛や体力低下にも悩まされる経験をしている。それでも創意工夫をしながら勉強を続けている。「年を取っているから勉強できないというのはいいわけ」と言われている。少なくとも、83歳より若い人視聴者はこの意見に反論できないはず。そんな野口先生から学べることは数多くあるはずだ。
まずは野口先生のライフスタイルを理解することで、自分の生活に取り入れられる学びがたくさんあるはずだ。ここを話していく。著者は60歳で東京大学を定年になった後、大学で教える仕事を続けた。現在は自宅で記事や書籍を書く仕事を続けている。まず朝起きて起床後に寝ている間に思いついたアイデアを忘れる前にメモをする。朝食を済ませたらそこから仕事開始。昼まで仕事をしたら午後からも仕事。夜も仕事。これだけ。シニアの中には起きたらすぐリビングにいってテレビを見る、という人が多いけど野口先生はテレビ見ないしそもそもおかないという。著者が自分で言っているのは「他の人が聞いても面白くないライフスタイルに見えるだろう。でも自分にとっては最高に幸せ」といってる。
仕事の時間の大部分は資料から新しいことを学んだり、考えることをしている。つまり、仕事と言っても実際は新しいことを学ぶ勉強、アウトプットに仕事という形。黒坂はこれに本当に強く共感する。自分もほとんど同じような生活をしてる。早朝起きたら記事を書く、子供を学校と保育園に送り届けたら事務所で仕事。昼ご飯を食べて夕方まで仕事。夕方、子どもたちが帰ってきたら一緒にスーパーへいって買物、料理、風呂、洗濯、絵本読み聞かせ、宿題のチェックと翌日のToDoリストを作って就寝。たまに自社に出社して打ち合わせに参加したりすることがあるくらい。若い起業家の中には友達とかビジネス仲間と四六時中つるんだり、昼間から酒のんだりマリンスポーツとか贅沢タイムを過ごす様子をSNSにどやってる人も少なくない。でも自分の場合、昔から集団でベタベタつるむより一人であれこれ勉強したり、記事や動画作ってる時間の方が遥かに楽しいと感じる。そして仕事は記事や動画制作といったアウトプットもあるけど、読書や記事を読んだり、海外の文献や動画からアイデアをもらったりする勉強にもかなりの時間を使ってる。インプットしないとアウトプットがネタ切れになるからな。自分はこのルーチンでもう何年も継続してる。監視カメラつけて黒坂の生活を覗いても何も楽しくないし羨ましくないと思う。家事や育児をしていることを除けば、自分は定年退職後のシニアに近い生活を30代後半からずっと続けてる。でも10代、20代、30代に過ごしたどんな時間より今が一番楽しい。勉強をしてそれをアウトプットする生活に飽きることはないと思う。いつかこのチャンネルを閉じて別の仕事を始めることになると思うけど、発信活動は形を変えてずっと続けると思う。だから著者のライフスタイルが幸せというのは本当によく分かる。
さて、話を戻すけど今話たように著者は1日中勉強と仕事をしている。今から83歳でも創意工夫で勉強と仕事を続ける工夫を紹介したい。まず、著者いわくシニアになるととにかく心配性になるという。何もしないとドンドン不安なことで頭がいっぱいになる。短期の海外へ行く時は「もしも重大な病気が発生したらどうしよう」と不安になって若い頃に比べて勇気が必要になった。シニアはメンタルも健全に保つ工夫が必要なんだ。そんなメンタルに効く一番の薬は勉強をすること。勉強に夢中になるとヒマどころか時間がいくらあっても足りなくなるくらい忙しくなる。忙しい間は不安になることはない。でも勉強には体力が必要になる。だから著者は朝夕40分程度、近所の井の頭公園を散歩しているとのこと。そしてこの散歩は健康や体力維持のためだけでなく、生産的な思考時間としてものすごく役に立っている実感がある。つまり散歩は仕事の延長という感覚がある。机に向かって何時間も仕事していると同じ手を続けているので、だんだん疲れてくる。そして頭も動かなくなってくる。立ち上がって、散歩出かけると新しいアイディアが生まれる。おすすめは散歩前に頭の中を問題や課題でいっぱいにしてから出発する。深く考えないと解決できない問題とか、整理しなければいけない課題で頭の中をいっぱいにしてから散歩すると歩いている内に自然に解決策やアイデアが生まれてくる。でも何も準備せずに出かけるとただの息抜きで終わる。頭が空っぽの状態ではいくら揺さぶっても何も出てこない。だから出発前に頭の中に課題を入れておくといってる。
そして著者がいうにはシニアの衰えはデジタル機器に助けてもらえという。ITは敵じゃない、あなたの味方だよ。視力が衰え、老眼になったせいで本が読めずべ勉強ができないと嘆く人も多い。でもタブレットとか大画面モニターで文字を拡大すれば紙の書籍が読みづらい人でも対応できる。分厚い本の読書がつらい人はオーディオブックで目を使わずに情報を耳から学ぶことができる。シニアなって思うように指先が動かないので、PCのキーボード入力ができなくなったと言う人がいるが、音声入力をすればいい。日本は60代の93%がスマホ持ってる。物忘れを自覚する人やアウトプットをしたい人は、スマホの音声入力を使えばいい。先ほど著者は散歩をしているといったけど、歩いている内にアイデアが閃くことがある。そのアイデアが逃げてしまう前にスマホに向かって音声入力をして逃げないように捕まえる。20分散歩をする間に2000文字程度の原稿ができる。自分も音声入力を活用してる。まずは書きたい内容を音声入力をして、次に書いた原稿をChatGPTに誤字脱字の修正、読みやすいように改行や見出しをつけてもらって、最後の仕上げに読み直しながらPCのキーボード入力で完成させてる。このYouTube動画の元の原稿も今いったステップで作ってる。世の中には老化を補うデジタル機器がいくらでもあるのだから、もはや老化による衰えは勉強しない言い訳にはならないよと著者はいってる。83歳より若い人にはグサッっと刺さる言葉だと思う。
最後に人に教えることを強くおすすめしたい。考古学者のシュリーマンは18ヵ国語を操る語学の達人だった。彼は語学力の上達のためにお金を払って人を雇った。面白いのは、自分に外国語を教えてくれる先生を雇ったのではなくて、生徒役になってくれる相手を雇った。え?逆じゃない?でも先生から教わるのではなく、生徒に教える方が学びになるんだよ。なぜって自分が学んだことを人に教えるには、最初に自分が圧倒的に勉強する必要がある。それがあなたを賢くする。この動画では英語は独学しろ!と何度も強調してきたけど、独学には強制力がないという弱点がある。じゃあシュリーマンがやったように生徒を雇えばいいか?いやそんなことをする必要はない。SNSやブログ、YouTubeで発信すればいい。今この動画を見ているあなたはパソコン、タブレット、スマホのどれかを使っていると思うけど、それがあれば即日無料で始められる。たとえば英文法の勉強をしている人は、学んだことを記事や動画にアウトプットをしよう。もちろんテキストに書かれているそのまま載せても誰も見てくれないけど、自分独自の視点、経験、意見を乗せて発信すればいい。なかなか理解が進まなかった関係代名詞をパッと頭に入った解説があったなら、それを取り上げればいい。
この図はラーニングピラミッドといって何をした時に一番身につくかというのを示すんだけど、アウトプットする、他人に教えることが一番知識の定着化すると言われてる。知識として深く定着して記憶にしっかり残るだけでなく、なんなら応援メッセージが届いたり広告をつければ収入にもなる。メリットしかない。
5章 高齢者シニアがやるべき人生最後の大仕事
さて、最後の章が来た。ズバリ、高齢者シニアがやるべき人生最後の大仕事が残ってるという話だ。著者いわく、シニアの人たちにぜひ挑戦してもらいたいのは、自分史の作成というんだ。ええっ?別に自分織田信長とかアメリカ大統領レベルの偉人ではないですけど?って思ったかもしれない。でもいい、さっきいった通り、あくまで消費としての勉強でいい。自分史の作成は大変楽しい作業なんだ。記憶には浄化作用があって、人間は過去の出来事をありのまま覚えているわけではない。苦しかったことや辛かった事は、時間経てばなぜか美化される。そして楽しかった事と嬉しかったことはますます楽しい思い出になる。失敗した経験も振り返るとなぜか楽しい思い出になる。これはおそらく人間の自己保存本能によるものだと思う。過去動画、英語学習者のDie with zero-あなたが本気を出す前に人生は終わりますでも解説した通り、年を取って最も価値が高くなり、最も大事な仕事は思い出作り。
若者は思い出を楽しむ時間旅行はできない。年を取れば取るほど、シニアだけが楽しめる究極の喜びが思い出を振り返ること。「でも、自分はもう年を取ってすっかり忘れてしてもてますねん」という人がいる。でもそんなことはない。本来、人間は全てを記憶しているけど、時間が経つと記憶の倉庫に鍵がかかって引き出せないようになる。カナダのマギル大学のペンフィールドの実験によると、脳に電気的な信号を与えたところ、本人は完全に忘れたと思っていた幼児期の記憶を完全な形で引き出すことができた。人間は全て覚えている、仮にこれが正しいとすると適切な刺激を与えることで年を取ってからも若い頃の記憶を引き出すことができる。ここで小難しい話を並べなくても、あなたにも肌感覚で経験があるはず。すっかり忘れたと思っていても子供時代に遊んだ実家や母校、友達に会うと子供時代の様々な経験がどっと蘇るということが起きる。学生時代の同窓会にいってかつての旧友に会うと思い出話に花が咲いて、自分が完全に忘れてしまったと思っていた懐かしい思い出が次々に蘇ってくる体験をした人もいるはず。自分史を作る作業は膨大な時間と手間がかかる。でも時間を得たシニアなら楽しんで取り組める。
自分自身、すでに自分史を作ってる。今の時点でプロフィール動画を3つ作成してる。いつかまた続編を出す。動画の作成にあたって、何十年も前の古い写真とか日記を見直しながら作ったけど、ものすごく楽しかった。「こんなこともあったな」とか「え?楽しい思い出しかないけど、当時の自分はこんなにも苦しんでいたの?」って感じでびっくりすることも多い。業者にお願いすれば、自分史を製本してくれる。別にあなたが特別な人間や偉人でなくても良い。自分史を作って売上をあげなくてもいい。黒坂も普通の一般人だし自分史を出版しても売れない。だけど、その作る過程そのものを楽しめばいい。これも消費としての勉強の一つになる。
さて今回は以上だ。最後に一つ話をしたい。黒坂が大事にしてる信条は「我以外皆我師(われいがいみなわがし)」。元々は作品、宮本武蔵で有名な小説家・吉川英治(よしかわ えいじ)さんが記した言葉。自分が関わるすべての人間、妻、上司、親、子供、お客さん、友人すべてから学ぶことができる。他人から学ぶことをやめた人間は一切の発展性がなくなる。20歳の若者がそうしたなら、実質的には年老いた老人と同じ。人間が本質的に老いるのは学べなくなったときだと思ってる。だから自分は広い意味で、どんな人にも一定のリスペクトの気持ちを持つようにしてる。そこまでいかなくてもどんな人にも、一人二人は尊敬できる人が世の中にいると思う。でも自分が神様のように心から崇拝する存命する人物に限れば、妻と野口悠紀雄先生の2人だ。人生にはステージがあり、成長とともにそのステージは変化していく。入社したばかりの新人だった頃、職場の上司や先輩が輝いて見えても、自分が成長したり、追い抜いていったなら尊敬する相手は移り変わっていくのが普通だよな?自分自身、23歳から本気で人生を生きるようになって今まで約20年間行動し続けて、心をから崇拝できる相手はドンドン移り変わっていった。今の時点で残ったのがこの2名だった。妻の話は果てしなく長くなるのでまた別の機会にするとして、野口悠紀雄先生はまさしく自分の父親のような存在だった。いや実の父親以上に大きな存在で実際、本の表紙ごしでは父親よりも顔を見てきた。自分が22歳で超勉強法に出会って人生が変わり、そこから一緒に年を取ってきたけど野口先生の本を20年以上読み続けてきた。20年前のあの日、超勉強法の本に出会わなければ、自分の人生は今とはまったく違ったものになったのは間違いない。本当にどん底だった人生を救ってくれて感謝してる。そして野口先生が執筆されるプラットフォーム、KADOKAWAのスタディーウォーカーや雑誌プレジデントで、黒坂が執筆した記事と先生の記事が同じPC画面上に表示された時は「先生、自分はイチ読者だったところから、同じ執筆者になるまで階段を登って参りました」と心の中で密かに喜んた。狙ってそうなったわけではないけど、結果としてそうなった。まあ同じ執筆者というカテゴリーでも、その実力はケタ違いすぎてまったく比較にならないのは言うまでもないけど。それから先生が開催したオンラインセミナーに参加させてもらった時は、同じ時間を共有できたことに初恋のように胸がドキドキして思わず涙が溢れそうになるほど感動をして感無量という感覚を覚えた。自分は今、野口先生のご著書をこうして動画で紹介し、野口イズムを一人でも多く人に届けるエバンジェリストをさせてもらってる。野口先生、どうかいつまでも健康でいつまでも素晴らしい仕事を続けてほしいと心から願っております。先生のおかげでこの20年間で自分は大きく成長しましたが、全力で追い続けている先生のお背中が近づくどころか、ドンドン引き離され続けて今でも継続的に学ばせていただいていることに心の底からリスペクトをしております。いつも本当にありがとうございます。さて、現在シニアの方、それからこれからシニアになっていく若い世代の人もぜひ一生勉強を楽しんでいこう。人間は学ぶことに特化した特殊な生き物で勉強は究極の娯楽。今日も明日も生きるということは学び続けていこう。ほなまた。
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