英語多読講師による黒歴史な自己紹介

YouTubeチャンネルの開設からすでに3年以上経過してるこのタイミングで今回は自己紹介をする。最近、自己紹介を論文で提出したところ、無事受理されて全米が泣いたので世界平和のためにも自己紹介動画の制作に至ったという格好だ。

本当は黒坂家を100代遡って縄文時代の黒坂家のヒストリーから丁寧に解説したいところだけど、時間も限られているので手短にいきたい。

 

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このチャンネルについて

まずはこのチャンネルについて。このチャンネルは英語多読を軸に、英語4技能を伸ばす勉強法を発信してる。2018年に英語学習本を商業出版して、同じくらいのタイミングでブログを執筆。2020年4月からYouTubeで本格的に発進。簡単に自分の英語の経歴をいうと英語力を多読で独学して、アメリカの大学に留学して会計学を専攻、帰国後に東京で外資系複数社で働いてたけど今は独立して熊本に移住して生活中という感じ。まず誤解しないでほしいのは自分は別に特別優秀な人間ではなくて、後から話すけど義務教育時代や会社員時代はかなりポンコツで周囲の人にはかなり迷惑をかけてしまったことも多い。それから自分は「仕事命!」という感じではなく、メイン業務は家事と育児で仕事は趣味という位置づけ。やりたい仕事以外しない、面倒くさいことは全部お断り、というクソッタレな野良猫もドン引きするワガママスタイルでやらせてもらってる。英語は好きだけど、自分より上手い人は腐る程いるのはよく分かってる。なのでたまにコメント欄で「お前なんかより○○先生の方が英語がうまいぞ!」みたいに他のYouTuberと比較される事があるけど、まあそれはその通りで何も反論することはないよという感覚だ。というか、自分の人生に忙しいし、他の英語講師YouTuberで誰がいるのかも全く興味はないしよく知らんので、他の人と比較されてもよくしらんという感じかな。

英語の多読という勉強法も完全無欠とは思ってなくて、合う/合わない人それぞれある。もっと自分に合うと思う勉強法がある人はぜひそっちで頑張った方がいいし、でももしも多読と相性がいいと感じるならやってみればいいんじゃない?好きにしてくれというノリだ。日本人の英語力をアップさせるぞ!とか日本一の英語系YouTuberになるぞ!みたいなそんな大それた織田信長レベルの野望もない。赤の他人と「理想の英語論とは?」とか「科学的なエビデンス付きの英語学習法とは?」みたいな堅苦しい議論の追求も面倒くさいし、興味もないんでやる気はない。結論、このチャンネルはオッサンが一人で英語について好き勝手壊れたラジオみたいにしゃべってると思ってもらって、感覚で肩の力抜いて楽しんでくれ。合う人は楽しんでいってもらえば嬉しい。

 

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小学生時代

さて、ここからは小学校時代から遡って歴史を語ると、自分は4人兄弟の長男で弟2人、妹1人。自分は大阪府池田市出身で、よく熊本出身者と間違われるけどんなことない。父親と母親は自営業で「社長の息子」。こういうとカッコよくて聞こえはいいけど、ビジネスはうまくいかなくて最終的には実家は売りに出されなくなった。両親は仕事で家を不在がちだったけど、おばあちゃんとおじいちゃんが駄菓子屋を経営していてあんまり寂しくなかった。子供の頃は「黒ちゃん家って常にお菓子が食べれてうらやましいわ」とクラスメイトから言われていて、子供心に誇らしく思ってた。

子供の頃の自分の価値観に最もでかい影響を与えたのは、同い年の親戚の子だった。その親戚君は家から徒歩5分のところに住んでたので一緒にゲームをしてよく遊んだ。親戚君の親は大阪大学の工学博士で大学教授として働き、NTTで光ファイバーの開発に携わったり、工学論文を出しまくってるみたいにガチでスーパーエリート一家だった。親戚君もガッツリ親の優秀な遺伝子を引き継いで、小学生の頃から微分積分の問題を解いたり、英語の読み書きや英会話もできるし、おまけにピアノやクラリネットなどの楽器もスイスイこなすということで何をやっても漫画のキャラクターみたいに優秀。デスノートの夜神月とドラえもんの出来杉君とパーフェクトセルがフュージョンした状態。自分なんて今だに微分積分なんてさっぱり分からなんし、それを聞く度に「微分積分、いい気分」ってメロディーが流れるだけの大人に仕上がった。うちはおばあちゃんが教育熱心だったので、自分は親戚君と同じ塾、そろばん教室、学習教材を与えられて勉強をしたけど、何をやっても親戚君に圧倒的な差をつけられた。全教科、体育を含めて何1つ勝てなかった。

ダンゴムシレベルの自分から見るとこの親戚君はガチで神のような存在に映ったけど、恐ろしいことに彼の進学した関西のトップ校では彼の同級生は数学オリンピック出たり、NHKの番組に出てプロに囲碁で勝負したり、全国模試ランキング上位を無双するやつとか人間をやめたターミネーター揃いで、その高校ではこの親戚君ですら中の下レベルでもがいていると聞かされた時には夏場の心霊番組でガチのやつを見た時くらい鳥肌が立った。自分からみると人間レベルを超えた神々の戦い。たまに視聴者から「黒坂さんは生まれつき優秀だったんでしょ」みたいに言われるけど、いやいや凡人ガチ勢舐めんなよ、と。こちとら生まれつき頭脳が違うハイパー優秀な人間を間近で見てきたんで、自分ごときハエが特別優秀な人間なわけないやんけと言いたくなる。うちの先祖で大卒は誰一人おらんぞ?親ガチャで当たりを引いてないわ舐めんな。そんなわけで子供の頃にDNAが神レベルに才能の差を見せつけられたので、努力の基準値がいい意味でバグって「自分は同じ時間、同じ努力量こなすだけでは、才能を持つ人には絶対に勝てない。凡人が勉強や仕事で結果を出すには、優秀な人の3倍とか5倍くらいやって当たり前」という価値観になった。だから今でもビジネス記事もYouTubeは最小の労力で最大の結果を出そう、と傲慢に考えるのではなく「100くらい作ってスタートラインというなら、要領が悪い自分は300とか500くらいは息をするように大量に作ろう。大量にやりながらじっくり慣れていこう」という努力の大量生産思考になった。

 

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中学生時代

小学生まではそこそこ友達はいたけど、中学になるとガチで友達が一人もいなくなった。でも後から考えるとこれはすごく良かったと思ってる。その理由を話したい。

小学生までは学年あたり3クラスあったのが、一気に7クラスに増えた。それにより小学校時代の友達と完全に疎遠になってしまったんだ。ある時、1年生で性格の悪いきゅうりが好物なカッパみたいな面した男子生徒にハブられた。中学生からお弁当持参になったけど、母親が作ってくれたお弁当にこのカッパがいたずらをしやがった。朝早くから一生懸命弁当を作ってくれた母親の親心と、クラスでボッチになった自分への情けなさで人前で号泣を経験。最初に少しだけ仲良くなったと思ったクラスメイトは、いつの間にかカッパの支配下におかれて一緒に自分をバカにしてきた。この経験が自分の価値観を変えた。小学生までは自分は典型的なキョロ充キャラで、仲のいい友達がいると水を得た魚のようにうぇーいとイキリ散らかしてるくせに、一人になると強い不安で塩かけられたナメクジみたいに萎んで静かになっていたダサい人間だった。中学で友達が誰もいなくなってキョロ充の羽を半ば強制的にもぎ落とされたので、そこからキョロ充からソロ充へとジョブチェンジした。高校でも大学でも会社員でも、そして今でも一匹狼タイプになったのは、中学時代のこの経験がきっかけだったかもしれない。脱サラして独立した今でもチームプレイは苦手で、従業員抱える会社経営は妻にお任せして自分は一人でできる仕事だけやってる。

そして当時の自分のソロ充レベルを99にカンストした出来事が発生した。ソロ充レベル99ってなんやねん、って話なんだけどある時、小学生まで仲が良かったクラスメイトがたまにうちの駄菓子屋に来てくれた。大人しかったはずの友達が夏休みに来た時は髪の毛染めてて、ヤンキーみたいな奴らと一緒に来たのでサーッと波が引くように心が離れていくのを感じた。そして仲の良かった友達がうちの店からタバコを盗んで、うちのおばあちゃんがそれを見つけて激怒。「うるせえババア!」みたいにヤンキーになった友達がうちのばあちゃんに怒鳴って詰め寄るその光景がトラウマになってしまった。あーもう、学校も友達も勉強も進路も人生も何もかも面倒くさい!いつでも遊んでくれるゲーム最高や!ゲームだけが自分を癒やしてくれるぜイエーイ!みたいな感覚になった。それ以降は仲間や友達とベタベタつるむことはなくなり、学校にもいかなくなって昼夜逆転して毎日ゲームをして遊ぶ生活がスタートした。これは800万人いる大阪府民なら知ってると思うけど、大阪ではゴミ収集車は軽やかなメロディーを流しながらやってくる。自分は毎日夕方に目を覚まして、夜通りゲームをやってゴミ収集車のメロディーが聞こえてきたら「おお、もう朝かよはえーなそろそろ寝よう」って感じで、ゴミ収集車のメロディーを聞きながら寝てたんだ。今大阪にいってゴミ収集車のメロディーを聞くと、中学生の時に昼夜逆転生活をしていた思い出が蘇ってくるんだよな。

 

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高校時代

中学は途中から不登校でノー勉ガチ勢だったので、行ける高校は唯一大阪市此花区にある工業高校しかなかった。合格発表の時、母親と一緒に見に行って自分の受験番号をドキドキしながら探したけど、途中で探すのをやめた。なぜって、全部きれいに連番状態になっていて受験者の全員合格していると途中でわかったから。この高校は今はもう廃校になって消えたので好き勝手言わせてもらうと、生徒はヤンキーばっかり。イメージ、今日からオレはという漫画で言うところの開久高校みたいな雰囲気で、生徒が駅前のスーパーで万引き自慢したり、暴走族やったり、授業中に奇声を上げて爆笑するけど先生がビビってやんちゃする生徒を注意できないみたいな感じだった。うわあやべえな自分はとんでもないところへ来てしまったと思ったけど、他にいける学校がなかったのでしゃーない。自分は中学時代の時みたいな暗黒の歴史を繰り返したくなかったので、周囲のヤンキーを意識してひたすらイキってるフリして自己防衛しようと考えた。学校の帰りにテコンドー道場に入って「最近はカカト落としの練習をしている」と自分から吹聴したり、ヤンキー漫画を参考に鉄入りの安全靴を装備したり、ゲームくにおくんシリーズを参考にメリケンサックとか特殊警棒を通販で買ってカバンに入れてた。表向きはイキってるフリしてたけど、内心はいじめられたくないのでビビりまくってた。昼休みは格闘技の本を読んで「オレに喧嘩売ってこないで。危険なやつだぞ」ってPRを必死にしてバリア貼ってた。

まっとうな学校に通った人には想像もつかないと思うけど、うちの学校の授業は完全に崩壊してた。崩壊ってどんな感じかっていうと、国語の授業は先生が教科書をただ朗読するだけ。英語の授業は先生がアメリカ留学中の体験をひたすら一人で話すだけ。クラスメイトはマジで全員寝てた。自分もずっと寝てた。たまに起きる時は国語の先生の教科書の朗読を聞きながら、青い空に白い雲が流れるのをぼんやりと眺めていた。当時の自分の愛読書は完全自殺マニュアルとか、黒魔術の本とか、凶悪犯罪プロファイリングみたいな本を読みまくり、高校生にして遅れた中二病を発動してた状態。今でも辛うじて地獄の炎を呼び出せるくらいの魔力は残ってると思う。

その地獄のようにつまらない高校生活で人生を変える衝撃的な出会いを果たす。それが担任の先生だった。ほとんどの先生は生徒にビビり散らかしたけど、この熱血教師だけは違った。この先生は竹刀を装備して、生徒が騒ぐと地面にバシッと叩きつけて威嚇。イメージ、いうことを聞かないライオンの前で魔獣使いがビシッとムチを振るうみたいな感じだった。ヤンキーどもは他の先生には心底舐めくさった態度を取っていたけど、この熱血先生だけは完全に一目置いて授業も崩壊してなかった。そしてなぜかはわからないけど、熱血教師は自分をよく職員室に呼んでくれ、やたらと応援してくれた。「君は本来、こんな低レベルな学校に来るべき人間じゃない。本当は絶対にできる側の人間なんだ。今からでも遅くはないから勉強を頑張れ」と言われまくった。普通、担任の先生が自分の学校をけなすことはしないと思うけど、この先生はそういう意味でも普通じゃなかった。けど当時の自分はその言葉を全然信じてなかった。普段から親戚の優秀すぎる子と自分を比較し続けて自信はなかったし、別に人生で学業で大きな成果を出したことは一度もなかった。「オッサンめ、自分を褒めても何も出ないぞ」と思っていた。今考えても、この熱血先生が自分のどこをみてそう判断していたのかさっぱり分からないままだ。いつか聞きたい。

高校1年の途中で自分は不登校になった。後1回欠席したら留年確定、みたいに出席日数がピンチな授業がいくつもあった。電気、体育、国語とトリプルリーチがかかっててとりあえず、留年だけギリギリ回避するために電気と体育と国語のある日だけは通っていた。行かない日はもちろんゲーム三昧だった。でも例の熱血先生が不登校の自分を心配して、わざわざ大阪の此花区から池田市の自宅まで1時間半以上もかけて何度もやってきてくれて「学校に出てこい」といってくれた。熱血先生はうちのばあちゃんが自分をかばうことに怒った。「この家の家族がこの子を温室のメロンみたいに甘やかすから、彼はせっかく才能を持っているのに全然開花出来ないんだよ」と母やばあちゃんに詰め寄った。この先生は他の生徒の更生は諦めていたけど、明らかに黒坂には高い期待をしているのが伝わってきて、人生を完全に諦めていた自分も少しずつ心を動かされるのを感じた。先生は自分が勉強ができなくても何も言わなかったが、遅刻したり授業をサボるなど約束を破ると本気で怒った。「たった1秒でも遅刻は絶対にダメだ。相手とした約束はどんなことがあってもきっちり守れ。君はちゃんと教えればそれが分かる人間なんだから」と教わった。この熱血教師は電気科であり、自分は「電気は触ると痺れる」以外に電気のことは何も知識はないまま卒業したけど、自分はこの熱血教師から人として約束を守ることの大事さはしっかり学ぶことができたと思う。この熱血教師に強い影響を受けた自分は途中から心を入れ替え、遅刻や欠席はしなくなり、人との時間はちゃんと守るようにしようと価値観が変わっていった。今でも人との待ち合わせは絶対に守る価値観はこの熱血先生のおかげだ。先生ありがとう。あの時の鉄拳制裁で目が覚めたわ。

高校時代に人生を変えたもう一つ大きな体験がある。それは舐め腐った我が人生で初めての大きな成功体験だ。1998年にバイオハザード2というゲームが発売して自分はめちゃめちゃハマった。今は廃刊になったけどKADOKAWAからゲームウォーカーというゲーム雑誌が発売され、ゲームのタイムアタックコンテストが開催されたのでノリで応募してみた。自分のプレイをVHSビデオに録画して投稿した。雑誌の発売日に家の近くのファミマに自転車でいって「どうせ載ってないだろうけど一応見ておくか」と思って立ち読みしたら、自分の名前がバッチリ載ってて「優勝」の文字を見た瞬間にお店の中で本を持つ手がブルブルと震えて止めることができなかった。床に本を落としそうになるくらい全身の震えが止められなかった。KADOKAWAからは優勝賞品としてバイオハザードオリジナル革ジャンをもらった。これが人生で始めての成功体験だった。たかがゲームと笑われるかもしれないけど、それでも日本全国で競争して一位の記録を出したことで「自分もやればできる」という自信につながった。どんな形でも「頑張って結果を出した」という成功体験は本当に人生を支えてくれると思う。そして自分の作品を発表して評価をされる、というこの初めての体験にすっかりハマって今では日々、動画や記事を発表してマーケットから評価を受けるという仕事に繋がったと思ってる。人生、後からどの経験がどう役に立つかわからんね。

 

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コールセンター時代

アニメとかゲームにハマっていたので「高校卒業したら声優になりたい」と思って声優学校とか、ゲームクリエイタースクールのパンフレットを集めてたけど、うちにそんな金はねえということで高卒後はそのまま何もせずニートになった。

卒業して1年以上ずっと家でゲームしてたけど、そろそろ働いて家に金入れろやお前コジキかゴルァということになったので片っ端からバイトをした。でも自分はことごとくポンコツで、スーパーにいくとお酒を床に落として弁償させられる。お弁当屋では店長とお客さんから接客態度が悪いとクビになる。引越センターでは力がなさすぎて室外機を持ち上げられずに一日で挫折する。自分マジで何もできないクソ人間だけど、さすがにこのくらいなら行けるだろと英会話学校のチラシ配りをしたけど、受け取ってもらえないことが続いて社員に「もっと真面目にやれ」と怒られたことに腹を立てて怒られた当日にやめた。とにかくバイトが続かないことに悩んでいた自分は、自分にあった仕事を探して2chの掲示板に入り浸っていた。「社会不適合者でもコールセンターなら働きやすいでござる」という趣旨の書き込みをみて真に受けて、大阪梅田にある携帯電話会社のコールセンターに応募した。時給は1100円、当時時給800円前後でしか働いたことがなかった自分からはとてつもない高収入に感じた。おま、時給300円違ったら10時間で3000円も格差がつくやないかい、しかもエアコンのついた部屋で座って仕事できるとかヴェルサイユ宮殿に住む貴族やんけワレェと思って速攻で応募。コールセンターではお客様対応をした後のやり取りをキーボード入力をして記録をするので、キーボード入力速度が重要視された。自分はタイピングオブザデッドというキーボード入力ゲームにハマってて、ゲーセンでプレイすると周囲に軽い人だかりができるくらい入力速度だけは凄まじく速かったので、その手腕を買われて採用された。ちなみにゲーセンではボスを倒す時は、ギャラリーの目線を意識して最後にパーンってわざと音を出してキーを入力してた。ここからニートからフリーターに格上げした。黒坂王国のGDPが1.37倍もブチ上がり、巨大な産業革命が起きた。まあ毎月の収入は17万円だったけど、当時は自分は富裕層の仲間入りができたと感じていた。

コールセンターは楽しかった。自分は20歳直前に採用されて若かったので、周囲のお姉様スタッフにかわいがられた。正直、中学や高校よりコールセンターで働く方が断然楽しいと感じた。上司のSVから仕事っぷりを褒められたり、応援してもらえた。仕事の等級も上がっていき、新人コミュニケーター→スタンダードコミュニケーター→アドバンスドコミュニケーターへとステップアップして時給もアップした。SVが自分を気に入ってくれて他のコールセンターへ出張に行かせてくれたり、求人バイトの写真撮影のモデルにも選んでくれた。コールセンターには夢追いバンドマン、声優さん、語学留学資金作り中の人とか色んな人がいた。他には薬やって京橋の駅前で素っ裸になって逮捕されたり、職場でグーで殴って流血事件になったりエクストリームな人たちもいた。でも自分は結構仲良くて車をフェリーに乗せて北海道一周旅行したり、六甲山に首なしライダー探しに行ったりした。それまでずっと一人でゲームをして遊んでいたので、ここで初めて仲のいい友達がたくさんできて遅れていた青春を取り戻すかのように飽きるまで毎日遊び尽くした。でも年齢も22歳になったところでいきなり強烈に焦りを感じた。同い年のクラスメイトが大学を卒業して就職。親戚の優等生は大阪大学を出て大学院に進学。これはヤバい。社会に置いていかれてるって感覚がハンパじゃなかった。あれ?富裕層だと思ってたけど、自分「普通」の人生のレール外れまくりじゃね?とこの時に気づいた。

とにかく人生一発逆転ホームランぶちかましてなんとかしないと!って焦って料理学校とかプログラミングスクールとか声優学校とか説明会に出まくった。だけどどれもしっくりこなかった。ここで人生で初めて毎月の給料は全額使い切って遊び呆けていたので貯金もゼロ。予備校にいくお金もない。ここで人生で初めて勉強してこなかったこと、貯金をまったくしなかったことを死ぬほど後悔した。そして最後の心の拠り所のコールセンターでも失敗をやらかして居場所がなくなった。何をやらかしたかというと、クレジットカード会社の債権回収の督促発信に派遣されて、電話をかけて「いつ頃お支払いできますか?」って尋ねるとお客さんから立て続けに怒鳴られて心を病んで仕事中に家に帰った。自分をかわいがっていたスーパーバイザーの社員のお姉さんにクライアントに謝罪してこい!と激詰めされた。「このまま真面目に働いたら正社員に採用してもらえるかも?」と淡い期待が打ち砕かれてここで再び人生オワタになった。人生からすべてののぞみが消えてなくなった。高校時代の熱血先生ごめん、約束破ってしまった。

真っ暗な部屋にブチ落とされて暗闇の中、そっと顔をあげるとオッサンの後頭部のように何かが光り輝いていた。それが英語だった。なぜこのタイミングで英語が自分の前に降臨したのかはよくわからない。母親から「これからは国際化の時代だ」という話を昔からずっと聞いていて、それがずっと頭に残ってたのをいきなり思い出したのかもしれない。とにかく英語をやろう!英語で人生逆転しよう!と決めた。っていうかアホな自分にはそれ以外の手段が何も思いつかなかっただけなんだと思う。英語をやろうと思うけど、何からやっていいか分からない。鼻息荒く英会話スクールに通ってみるけど、全然継続できずに鼻血を出して勢いよくぶっ倒されることを繰り返した。前払いチケットを買うけど、通い続けられないからチケットの有効期限が切れて終わりをエンドレスリピート。ある時は教会で無料で英会話教えてもらえると聞いてマッハで駆けつけたら、英会話は数分で終わり、残りの時間はひたすら謎の宗教の勧誘を受けるみたいな感じでこれも続かなかった。ワーキングホリデーを調べたけど、海外生活なんて怖すぎワロタ、とても一人では行けないし、まずお金がない。人生でまともに勉強をしてこなかったので、勉強というものを何からどうすればいいか?何も分からなかった。コールセンター仲間に「自分は英語をやりたいと思ってる」と相談したら、普段は笑顔で優しく接してくれる人たちも真顔になって「やめとき。あなたはもう23歳になるんでしょ?今からはどう考えても遅い。世の中どれだけ英語ができる人がいると思ってるの」と諭されて、誰一人いいねやってみようと言う人はいなかった。親も仕事が大変で相談もできず。どうしようかと人生の手詰まり感ハンパじゃなかった。

ここから先の話は過去動画、北京原人レベルのアホが英語多読でガチった結果wwというので詳しく解説してるのでそちらを見てもらいたいけど、簡単にいうと古本屋で偶然手に取った超勉強法という本を買って人生変わった。本を読んだその日の夜を境に本気で勉強をしよう、大学にいこうと決意した。その本の著者の野口悠紀雄先生は教科書を何度も読んで内容を暗記することを勧められていたので、「何度も読むだけ?マジかよ、それなら北京原人レベルのアホな自分でもできるかもしれん」と思って速読英単語必修編を買うことにした。なぜ、速読英単語必修編に手を出そうかと考えたのか?それは例の親戚君の家の本棚にたまたまあったのを見ていたから。つまり、本当に偶然良書を手に取ることができたということ。今考えるとすごいラッキーだと思う。自分は阪急池田駅の近くにある書店に自転車を走らせ、速読英単語必修編と音声CDをセットで買った。その後は家にすぐに戻らず、池田駅の近くのガストというファミレスで儀式をして帰ろうと思った。儀式ってなんやねんって話なんだけど、「遊び呆けていた自分を決別するために最後の晩餐」のつもりで目玉焼きハンバーグを注文して食べた。その後はダイエーのフードコートで死ぬほどカラースプレーチョコをのせたクレープをデザートに食べて生まれ変わることを決意した。今日以降、英語力を身につけるまでは一切の贅沢はしない。「欲しがりません勝つまでは」は実は戦時中に自分が作りだした標語なんだけど。その後、自転車に乗って家に変える途中、なぜかペダルを漕ぎながらボロボロと涙が溢れて止まらなかった。恥ずかしいので周囲の人には目にゴミが入って泣いて困ってますみマジうぜーぜ、みたいに目をゴシゴシ擦ってた。ウミガメは浜辺で産卵する時に涙をボロボロと流すらしいけど、多分ウミガメの地縛霊が自分に憑依したんだと思う。

儀式を終えた翌日から自分はそれまでの自堕落でカイジみたいな生活を捨てて、いきなりハイパー勉強ガチモードになった。人は一夜にして大変身できる。コールセンターで働きながら、空き時間はすべて英語の勉強に費やした。大好きなゲームを捨て、携帯電話を捨て、ネットの契約も捨て、友達も全部カットしてすべてを捨てて勉強をした。いきなり人格が180度豹変したので、周囲の人は悪魔が取り憑いたとびっくりしていたが、自分は構わず一人で頑張った。おかげで仲のいい友達はみんないなくなったがそれでも孤独に頑張った。でも不思議と孤独に夢に向かって全力ダッシュする生活はとても楽しいなと感じた。逆境に向かって頑張る中で唐突に思い出したのは、高校時代にゲーム大会に挑戦して努力していた日々のことだ。難しい条件でゲームに挑戦し、試行錯誤しながら記録を1秒ずつ塗り替える努力をする過程と同じやんけおもしろーって感覚だった。そしてなんとか独学で英語力を身に着け、地元の短大に合格した。お金がないので引き続き、コールセンターで働きながら学生をする二足のわらじ状態になった。

 

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大学受験

地元の短大に入る前は大学に夢と幻想を抱いていた。そこに通う生徒はみんなやる気満々で、人生を変えるために努力する人間が集まる場だと思ってた。でも結論、その夢は幻想だったことを入学して思い知らされた。大教室に入るとみんな後ろの席から座って前の席はガラガラ。授業中も後ろの席でPSPでゲームしたりウェーイでやってたり、授業の出席確認が学生証のバーコードを読み取るやつだったけど、ピッて読み取った後授業を抜け出すみたいな感じ。他の学生と比べて、自分は5歳年を取って入学したので「課長」とか「部長」と呼ばれてそれが遅れて入学した自分のコンプレックスを刺激してブチ切れた。結局、大学でも怒りっぽくてソロ充な自分は周囲のウェーイ勢と馬が合わず大学でも一匹狼になった。コールセンターの給料で学費を払っていたし、人生を変えるつもりで来たので授業は常に一番前の一番真ん中の席に座っていた。先生から「君はいつも同じ場所に座っているね」と笑われた。毎日、お弁当を2個用意して朝から夜21時まで空き時間はずっと図書館にいたので、どの先生からも「常に勉強する人」として覚えてもらえた。駅から学校まで歩きながらテキストを読んでいたので「リアル二宮金次郎像かよw」っていわれたこともあった。自分があまりにも熱心に授業を受け、勉強を頑張るので必修クラスの先生からよく色んなアドバイスをもらった。

ある時、この学校で人生を変えるアドバイスを受けた。短大の必修クラスの先生から研究室に呼ばれた。「あなたは短大を出たらどうしようと思ってるの?」と聞かれたので「働こうと思ってます。うち金ないし。それに正直、大学には失望しました。これなら自分ひとりで独学を続けた方がお金も時間も節約になります」とバカ正直に答えた。そんなこと、普通大学の先生に言う人は誰もいないだろう。短大を止めるつもりだったので遠慮なくぶちまけてしまった。でも先生は以外な答えをくれた。「その通り。このまま短大にいるべきではない。あなたはもっと上を目指すべき人間だ。アメリカ留学へ行って現地で英語で専門分野を学びなさい」と言われた。「でもうちマジで金ないんで働くのやめたら即オワタなんですよ」というと「大丈夫、交換留学、学位留学制度なら学費や生活費はすべて学校が持つのでその制度を利用していきなさい。ハードルは非常に高いけど、あなたならきっとできるわ」と先生はいってくれた。それを聞いた瞬間、世界がスローモーションに感じた。よく車に跳ねられた時にスローモーションになるって話があるけど、マジであのイメージ。自分がアメリカの大学に?マジかよ?お金さえなんとかなるならいってみようかなと。その日以降アメリカ大学留学対策をした。それに加えて、将来は会計を専門分野にして働こうと考えて簿記を独学して3級、2級に合格した。TOEFLという英語試験や学内選抜試験や面接をすべて突破して、シカゴにある大学に会計学専攻で留学することが決まった。短大からこのプログラムに参加できたのは、自分の他には帰国子女2人だけで一般の学生は全員落ちた。

 

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アメリカ留学

アメリカの大学は一言でいうとナイトメア、マッドハウス、いやアルティメットクレイジーレベルに大変で、「宿題で200ページテキスト読んでこい。次の授業で読んできた内容でディスカッションしろ、プレゼンしろ、ペーパーかけ。できなかったらくたばれ」というノリで、どの授業でも同じレベル感なので毎日真夜中3時過ぎまでリーディングして、朝大学にいってなんとか課題をこなすみたいなルーチンだった。もしも一定以下の成績を取ったら、日本に強制帰国となり本来は無料の学費や寮費を請求される。そうなれば我が家は破産して沈没するので絶対に負けられない戦いだった。勉強のやり過ぎと、プレッシャーと、冬場になると毎日バカみたいに雪が降るので日照時間が短いからかそれで鬱みたいになった。一度、あまりにもメンタルはやられたので精神相談をしたら、レゴブロックみたいなのを作らされた。なんでもこのレゴブロックの仕上がりをチェックして、精神状態を測るらしい。だけど雪が溶けて春になると自然に気持ちが前向きになった。レゴブロック役に立たなすぎたw 人間という動物は思ったより単純に出来ているのかもしれん。アメリカ大学留学後半は授業にも慣れてきて、少し外を散歩したりする余裕が生まれた。よく視聴者から言われることの一つに「あなたはアメリカ留学したから英語ができるようになったんでしょ?」と言われるけど、それは違う。アメリカに留学する前の時点で独学で絵異語力を身に着けてた。正直、留学してから米国会計とかビジネスの知識は勉強して伸びた感覚はあるけど、純粋な英語力は全然変わらなかった。英語力だけでいえば、日本にいて電車通学中に勉強していた時の方がよほど伸びた感覚がある。米国会計の知識やスキルはめちゃめちゃついたけど、純粋な英語力はほとんど変わらなかった。この時の自分の体験からも「ただ海外に体を置いて留学、海外生活をするだけでは英語力はカスほど伸びない」ということがわかった。

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リーマン・ショックで人生最大のピンチ

帰国する直前、リーマン・ショックが起きた。その第一報を聞いた時は「どっかのサラリーマンにショッキングなことが起きたんだろw どうでもええわいw」くらいに思ってた。まさか自分の人生を変えてしまい、人生最大のピンチに陥ってガチで命を失う寸前までの目に遭うとは夢にも思わなかった。ここからの話はあまりにもショッキングかつ、グロテスクで辛辣な悲しい話が続くし、さすがにクソ長いのでこの動画の視聴データがよかったら、別の動画で丸々撮る。こんな恥ずかしすぎる自伝を最後まで聞いてくれてアザス。

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「私はいつになったら英語ができるようになるの?」
「こんなに頑張っているのに、まだできないなんて…」

そう嘆いているあなたの気持ちはハゲるほど分かる。

オレもそうだった。

あなたを英語ペラペラにするのは、

語学留学や英会話スクールではなく、

「英語多読」だ。

 

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